ある時、他人でなく
自分自身を信じる日が来る
運営者 もうずいぶん前に見たんだけど、大山のぶ代が、確か「欽ちゃんの仮装大賞」の審査員でコメントをしていて、出てきた子供に向かってドラえもんの声で呼びかけた時に、子供はドラえもんが本当にいるんだと思ってキョロキョロと回りを見回して探したんだよね(彼女はしょっちゅう使っている技なんだろうけど)。つまり、彼にとってはドラえもんは存在するわけだ。
その子は、今はドラえもんを信じている。だけど、そのうちそれは虚構だったということがわかる。そしてどんどん信じる対象が変わっていくわけ。それが世の中のことがわかるってことだよね。「これはホンモノじゃない」というのがわかったときに、また一歩大人に近づくことができるわけ。でもそういうものは、企業がどんどん供給しているから、信じる対象というのは、後から後からいくらでも出てくるんだよ。
だから、芸能人が作られた存在であったとして、普通の人はその楽屋裏を見ることができないから、浜崎あゆみを信じる時期があってもいいんだよ。だけど重要なことは、いつかは卒業する日が来るということ。
それはね、他人を信じるのではなく、自分自身を信じる日が来るということなんだよ。
それはある大きな脱皮、つまり自立ということなんだ。
世の中にあるものを何でもかんでも信じていると、それはさすがにイタイよね。どうしてかというと、世の中にあるものはビジネスとして作られているものだから。浜崎だってそうだし、iモードだって既にツールとしての携帯電話以上の意味を持ってしまっている。つまり人が精神的に依存してしまうくらいのものを作ってしまえば、すごくもうかるということなんだ。企業は、そういうものを供給してるんだよ。
だけど、「そういうことをやってはいけない」と言ってしまうと、子供が徐々に勉強して大人になっていく階段を外してしまうことになるよね。だからそういう商品の供給は重要なんだよ。
「なにがホンモノで、何がニセモノか」ということをとことんまで見極めれば、信じることができるのは自分だけだということがちゃんと分かるはずだよ。
ある時、そのような世の中の裏を理解して、「世の中が騙し騙されで成り立っているのであれば、自分はその中でどのような立場に立つべきか」と客観的に考える日が来なければならないってわけだ。
さっきまりちゃんが言ったような、ボーッとしているような学生たちは、なかなか気がつかなくてツライよね。
まり 今まではボーッとしてても済んでましたからね。