人を評価できないのは、努力を放棄している証拠
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 それで話を元に戻して、他人を評価することができない理由というのは、自分が表現しようという努力を放棄しているからなんです。
飯坂 「自分が表現をした結果」を評価された経験がないから、人を評価しようとは思わないわけですね。
運営者 そう。でも、自分が必死で何かをつくって、それを他人に分からせようという努力をしたことがある人間は、他の人がやったことに対して、それを見れば、その人のどこが優れているか、その人の仕事のどこにエッジが立っているかということがわかるんです。
飯坂 その通りですね。旧日本的な会社の中にいてもね、日本の会社の中でちゃんとやっていく人って、どちらかというと役者上がりの監督のような人が多いと思うんです。その中でも表現能力に優れた人というのは、人を活かすことができます。
運営者 僕は、新日本国型の経営者というのは、台本の部分の頭脳が優れてほしいと思うんですよ。
飯坂 これまでは、一旦キャリアになって台本を書く立場になってしまうと、どんなヘンな台本を書いても、回りの人がみなフォローしてくれましたから、表現力を磨こうとはしませんでしたね。
運営者 それは、変な形の分業になっていると思うんです。自分たちを磨いていってほしいんですけれど、それにしてもいかんせんレベルが低い。
飯坂 でもまあ、ニワトリと卵かもしれないけれど、評価ができる人が出てくれば、評価されるべき優れた人も出てくると思うんです。
運営者 でもね、われわれは常に評価することができる人を期待していたんですが、そのような人も、評価すべき立場に立ってみると、回りの人たちに足を引っ張られて、自分の意志の通りの評価を下すということはなかなか難しいというのが一般的だったですよ。それは「場」によると思うんです。
飯坂 物事の本質にしたがうよりも、その場に従うほうが安全でしたから。