自分ができなければ、他人を評価できるはずがない
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 義務教育というのは、自分がてめえの力で食えるようになるために必要な、読み書きそろばんを教えるもの。
飯坂 みんなが読み書きそろばんができないと経済活動もできないし、それこそデジタルデバイドで。義務教育は、まあそういう社会の必要性を担保してはいると思うんです。もうすぐ「読み書きそろばんEメール」になるでしょう。
運営者 そうですね、コミュニケーションのための最低の能力は必要ですから。そうじゃないとネット対応人間になれない。
あと義務教育に足りないものは、「天才を発見する」という機能はないですよね。海外で評価されたり、お金持ちなったりということがなければ、天才を天才として認めることはなくて、逆に叩きつぶしてしまう。評価する能力がないのか、評価するだけの器量がないのかよくわかりませんが。
ものを作る人間、あるいは自分が表現する能力を持つ人でなければ、なかなか他人の「表現力」というのを評価することはできないわけです。
で、つまり日本人は一般にかなりプレゼンテーションが下手で、自分を表現する能力が低いですよ。
日本映画ってつまらないと思いませんか。映画がつまらないのはなぜかというと、役者もつまらなければ、監督もつまらなければ、台本もつまらないからですよ。でもこの3つというのは、おのおの独立した表現性を持っているものなんです。というのは、台本というのは台本だけ読んで面白いくらい、ハリウッドの映画なんかだと「これでどうだっ」というくらいの面白さを詰め込んでいるじゃないですか。あの貪欲さというのは、ホントに表現能力の粋ですよ。役者も台本や、監督の持っている綜合的な能力や雰囲気をその場で感じながら、自分の持っている表現能力を発揮していくわけですよね。それらが一体となったものが映画なんです。
飯坂 役者というのはラインであって、台本というのはスタッフであって、監督は社長。 それはそのまま、企業経営に直結しますよね。
運営者 その通り。そのとおりなんですよ。そういう文化が豊かであるということは、まったくもって企業経営が豊かであるということです。そこが、僕が「経営センスが必要だ、ネットワーク対応力が必要だ」と言っていることにつながってくる接点のような気がするんです。
ネットワーク対応というのは、そういう意味では表現能力が必要なんです。能力の1つとして。「わが社の製品は絶対にすぐれていてコストパフォーマンスがいい」ということを相手に納得させないと商談にならないんですから。