日本の強さは、田舎者の強さだった
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 日本の国債が格下げされました。守旧派政治家の巻き返しによって構造改革が停滞しているというのが理由です。まあ、それだけ本気で反撃しなければやられてしまうという危機感が守旧派の側にあったんでしょうね。
運営者 しかし、国債が格下げになるということはどれだけ影響があるかということを考えないですかね。ましてや上から数えて4段階目になるということでしょう。これは、G7諸国で単独最下位ということですからね。振り向けばロシアがいた、と。
飯坂 ロシアとまでは言わないけど、日本国債のデフォルト保険料率は、ハンガリーや中国と紙一重のところまできているようです。格付けはダブルAのドン尻にしがみついているようにみえるけれど、クレジット・デリバティブ市場ではシングルAのグループに入れられてしまっているということです。
運営者 すごい罪ですよね。自分たちの立場を守るために、国を売るなんて。
飯坂 だけど今反撃しなかったら、守旧派は自分たちの地位を失ってしまうんだから。
運営者 国を売るぐらいなら、己が消えることを選ぶというのが国士って言うもんでしょう。亀井はね、下手なカラオケが好きで、なかでも「昭和維新の歌」が好きなんだそうですよ。「じゃあ、歌ってくれ」と言ったら、「いや、あれはここぞという肝心なときしか歌わないんだ」と言われましたけどね。国士を気取っているわけですよ。「だったら身を引け」と思いますがね。
飯坂 これはね、彼らの頭の中で国の本質を、田舎に置くか都会に置くかという問題ではないでしょうか。
運営者 けれども、国会議員であれば本来は全体利益の代表なんだから、「田舎も都会も日本なんだ」と考えなければおかしいでしょう。
飯坂 それが難しいところで、日本は都会であるとみるか、田舎であるとみるか。田舎の気風は土着的で、その土地に根っこを張って同じようなことをしながらも累々と世代を重ねていく。これは文化をつくる基盤ではないわけです。
文化人というのはすべからく都会人なんだ、文化は都会でしかできないと。そして、都会は常に田舎からの挑戦を受けていて、都会は田舎をバカにしつつも、脅威を感じている。
運営者 なるほど。
経済的余裕がないと文化はできないんです。アテネで哲学が発達したのも、民主制が発達したのも、アクロポリスができたのも、中間階級が台頭したのと、デロス同盟の資金を横領できたからなんです。それは田舎ではできないことなんですな。
飯坂 もともと、東京というのは田舎だったわけですよ。文化は圧倒的に関西で作られていましたからね。ところがここにきてトーキョーは、日本の都会の地位を得、アジアにとっても世界首都になってしまったんです。
だいたい日本の強さというのは、田舎者の強さだったんですよ。