都会は都会たれ、田舎は田舎たれ
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 だいたい日本の強さというのは、田舎者の強さだったんですよ。
運営者 トヨタみたいな製造業が強いということですね。
飯坂 高度成長を担った企業の多くは地方に基盤を置いていたし、明治維新を成し遂げたのも「田舎者」たちです。ところがここにきて、日本全体が都会志向になって、実際に中途半端に都会化してしまった。今日では日本全体がプチ都会化してしまって、「総主流派」になってしまった。そして今では中国をはじめとする田舎の挑戦の受ける立場になってしまったのでしょう。
運営者 という階層的な理解はできますね。
それで政治家の話に戻すと、都会も田舎も日本だと思わなければならないって言いましたけど、国の持つ競争力の淵源は、都会が田舎の挑戦を受け続けるそのダイナミズムにあるはずだと思うんです。そのダイナミズムを無視して、「国土の均衡ある発展」(by下河辺淳)をごり押しした結果が、今日の状況を招いたひとつの原因ではあると思うんです。
「都会は都会たれ、田舎は田舎たれ」、というのは普通のことだと思うんです。それで、国全体のパワーが引きだされるはずです。
飯坂 そのとおりですね。
運営者 「都会人は生活が便利だから、そのレベルまで田舎を引き上げるために地方に公共投資をしろ」と地方の人は言いますが、都会の人間は、物価が高いとか、通勤に時間がかかるとか、それなりの負担をしているわけです。もしそういうコストがないのなら、都会に人が流れ込むはずだ。そのバランスを取るために公共事業による所得再分配があるんだという考え方が有力です。だけど、今は都会の人口は増えてませんからね。
そうすると、都市に住む人が払っているコストの見合いをまったく考えずに、中央集権というシステムで半強制的に都会で集めた税金を公共事業の形で地方にばらまいている。しかも、そのような投資効果が果たして見合っているものなのかを考えずにやっていることが問題だと思います。
飯坂 そのときにね、田舎の政治家は問題をすり替えています。
高度成長以前、陸の孤島で医者にかかるにも山をいくつも越えなければならないという時代ならともかく、田舎の人たちは、別にこれ以上道路が必要なわけでも、新幹線が必要なわけでもなくて、ただ単にメディアで流されている都会のにおいのする物が欲しいだけなんです。それを政治家たちは、自分たちの支持団体である土建屋に利益誘導して、「道路を作れば都会並みになるだろう」と言っているわけ。
運営者 効用を考えることなく、「都会に高速道路があるなら、田舎にも必要であろう」と。しかし、「車の通らない高速道路を作ってどれだけのメリットがあるのか」ということは考えないわけです。
飯坂 そうそう。確かに新幹線には、ある程度の距離まで延長していた段階までは、その地域を東京のサバーバン化することによって、グレーター東京を拡げる、という効用はありました。だけどその限界を超えたところに新幹線も引いても何も意味はない。
運営者 西鹿児島は東京のサバーバンにはならないでしょうね。
東京にあるメディアが、高速道路とか、地下鉄とか、電線地中化などの都市インフラを報道するからで、ひたすらそれをまねすればいいんだという発想法ですな。しかしそれはまったく意味のないことで。
飯坂 東京一極集中を是正しなければならないというのが、錦の御旗ですよね。けれども「一極集中」問題というのは、もともとは地価高騰や公害や渋滞といった都会の弊害を解決する問題意識だったはずです。本来「都会」の側の問題であったのが、いつのまにか「田舎」の側の問題にすり替わってしまったのではないでしょうか。