要点整理
- 「平和が大切」と強調するテレビ番組はすべてニセモノ、あるいは洗脳加担番組
- 自分の意志で考えるよう、一刻も早く洗脳を解くべき
- どこかで戦争否定文化のちゃぶ台返しをする必要がある
戦後70回目の8月15日に向けて、テレビでは懺悔番組が花盛りです。毎年同じことを書いているのですが、こうしたテレビ番組を見た感想が、「平和は大切だ、戦争は絶対にしてはならない」といった月並みなものばかりで、ほぼ全員が思考停止しているのを見るとうんざりします。
常識的に考えて、平和は、手放しの非戦主義で守れるものではないのに、中には「この番組を通し戦争反対という政治的主張を視聴者に刷り込もう」という明確な悪意を持った作り手までいるのですから、見識のないことはなはだしいと思います。日本でお花畑が横行するわけです。ガキの主張です。
おかしかないですか? 日本軍をコテンパンにやっつけ、無辜の市民を殺戮したのは鬼畜米英なんだから、「平和が大切」じゃなくて、ふつうであれば「アメリカ許すまじ。臥薪嘗胆、いつかは反撃殲滅する」とならないとおかしいでしょう。
日本人はすっかり洗脳されちゃってるんですよ。まず洗脳を解かないと。
韓国なんか見てください、闘ってもいない日本を、いつまでたっても敵視してますよ。全くいわれのないことですが、ふつうは敵国に対してはそう考えるものです。
ベトナムはどうですか。あれだけ悲惨な国内戦をやりながら、「戦争はイヤだ」なんていってませんよ。今でも乏しい武器で、中共帝国と正面から事を構えています。
じゃあなんで、日本には「戦争イヤだ」文化が蔓延してるんでしょうか?
わたしはそれは、日本が国体護持にこだわって、以前の政体からの継続を主張し続けたがための錯誤だと思っています。
日本中に、戦後の焼け野原を拡幅した「平和通り」というのがありますが、イタリアだったらそれは「リベルタ通り」なんです。つまり彼らは、「あの戦争はファシストがやったことであって、われわれは自由解放された側だ。狂っているのはファシストであって、われわれは関係ないもん。だから米英も恨んでないもん」という立場なわけです。
対して日本は、「あの戦争はわれわれが引き起こしたものだから、悪かったです。ずっと謝ります。鬼畜米英さんは正しかったです。悪いのは戦争です。戦争はダメです。平和がいいです」といわざるを得ない立場を選択してしまいました。これ、今となってはまずかったですね。
どこかでちゃぶ台返しする必要があります。
昨今の安保法制論議を仄聞するところ、野党側が言っていることも、非戦論者の主張も、到底尋常とは思えないガキの主張以下のもので、あまりにレベルが低く論理性に欠けており、まともに反論する気にもなりません。
彼らは「戦争は絶対回避しなければ」という命題を中心に据えて、それを動かさないようにして、否定的な材料だけを並べ立てるのですが、ロジックがつながっていないのでぜんぜん破綻しています。
ところが本人たちは、知識がないので、なんとなくつながっていればそれで論破したように勘違いして、鬼の首を取ったように喜んでいます。
山本太郎の「原発ミサイル攻撃質問」なんか、その典型ですね。実に滑稽な質問をしているのですが、左翼にはあれが大勝利に見えているようですから、この絶望的な差は埋めようがありません。
こんなレベルの低い話が横行しているのも、実に浅薄な「平和至上主義」のなせるところだと痛ましく思います。
このボタンの掛け違いは、まず「平和が大切」という刷り込みから来ています。
戦争物のテレビ番組で「平和の大切さを」と言っているものはすべてニセモノ、あるいは洗脳加担番組と考えてよいでしょう。
また、そのような思想的誘導のない良好な番組を観ても、「平和は大切だな」という思考停止の感想しか持てない自分に気がつかれたら、「これはちょっとまずいな。こんな事を考えるようでは、激変する21世紀の世界の中で、生き残っていけないかもしれないな」と心の中でアラームを鳴らすようでなければならないと思いますね。