■1月31日ひとこと 飲み過ぎなんですよねー
■1月29日ひとこと なんなんですかね、テレビでやってる半島芸能人のヨイショブームは。気色悪い。作為を感じさせます。どういう圧力なんでしょうか? 「さっさと全員帰れ」としか言いようがない。
■1月28日ひとこと 大学はたいへんみたいですね。教員は地方の高校を回って公開授業をやって生徒集めをやらされるらしい。大学の数が増えたのは、退職する文科省の天下りを受け入れさせるためだったんですけどね。学生は1年から就職課のセミナーが始まって、就職実績を作ってアピールするという大学側のために、学生は有名企業ばかり狙わされるそうです。やっと専門課程に入った3年の夏から企業回りで、内定したら授業に出てこない。でもなかなか内定出ないけど。大学評価がうるさいので、成績もきちんと定められた比率で優良可を分配しないとしないといけないし。某六大学の教授は「高校みたいだ」と嘆いていました。
■1月27日ひとこと 鳥インフル、まじヤバス
■1月25日ひとこと あと、イタリアではマイクロカーが多いのですが、電気自動車がかなり普及していて、フィレンツェの町中などで、マイクロカーやバイクの電気スタンドがありました。街が古くて駐車場なんかないので、全部路上駐車なのですが、マイクロカーは小さいので、縦列駐車するときに狭いスペースに縦に駐めたりしていましたね。
■1月23日ひとこと わたしの以下のスカラ座報告を読んだ友人が、ベルリン経由で移動してきた、以下の「カバ」に出ていたサルバトーレ・リチートラに、アメリカで会ってスカラ座のプーについて訊ねたら、あのブーイングは15〜20年前から、組織的に行われているものなんだそうです。首謀者の夫婦も特定されています。
彼らは、ブログを運営していて、まさにわたしが聞いたホセ・クーラの歌がここに・・・
http://ilcorrieredellagrisi.blogspot.com/2011/01/pagliaccicavalleria-alla-scala.html
アラーニャが「アイーダ」でブーに怒って帰ってしまったのは有名な話です。スカラ座の出演者たちはフー組織との話し合いを求めているが、スカラ座は相手にするつもりはないらしい。出演者側には不満が溜まっているようです。
カーテンコールの時の出演者たちは、プーにへこたれずに満面の笑顔で、まるで力を合わせてプーに対抗するように手をつないで拍手に応えていたので、すごい違和感がありました。
「あれは一部の奴らだけの悪評だから気にすることはない」とみんな思って「俺たちゃあ気にしねえぞ」と言ってる感じでした。
この舞台はイタリアの国営放送の新チャンネルで放送されただけではなくて、アメリカの映画館でも順次ライブビューイングで上映されています。日本でも放送されるといいなと思います。
■1月22日ひとこと イタリアでは、ベルルスコーニのスキャンダルで大騒ぎでした。下院の委員会で承認されたら、家宅捜索を含めて捜査が進むということで、国民は内心うらやましく思いつつ、「自分は年収1000ユーロしかもらえないのに、売春婦に一晩5000ユーロも払うなんて」と反発を強めています。売春婦本人がラジオに出たりして、ますます加熱していました。まあ、イタリアらしいことです。
ところでイタリアでは、ほんとに政府がつぶれるほど危機的になると、大統領が強権発動して、政治家以外で構成される救国内閣を作ることができるらしいです。古代ローマの独裁官的な発想が生きてるんですね。
■1月20日ひとこと やって来ましたミラノのスカラ座。やっぱりオペラ界に君臨する殿堂という感じがします。「道化師」と「カバレリア・ルスティカーナ」の2本立て。ともにニュープロダクションで、RAI5(国営放送)が生中継していました。カメラがとてもじゃまでした。
スカラ座の天井桟敷の客はすごかったですよ。
「道化師」では、主役のホセ・クーラ(とても熱演に思えたのですが、「衣装をつけろ」が受けていませんでした)とクリスティーネ・オポライスに盛大なブーが投げかけられていました。シルヴィオ役と、トニオのアルベルト・マストロマリノは許されて好意的な拍手を受けてました。トニオは最初から凄くよかったと思います。
「カバ」ではサントッツァのマリアンヌ・コルネッティだけが大喝采を浴びて、トリドゥのサルバトーレ・リチートラはブーの嵐。指揮者のダニエル・ハーディングもブー。いちばんすごかったのは、恐らく演出に対してだと思うのですが、ブーとブラボーの応酬が長時間続いて、たいへんなことになっていました。
「道化師」の演出は、時代は1950年代くらいでしょうか。自動車が舞台に何台も出てきますが、音がしないので中身は電気自動車でしょう。シルヴィオもBMWに乗って登場し、カニオから逃げていくという具合。
舞台の2/3を高架道路が占領していて、合唱はその上に100人くらいが乗ります。軽業師のオンパレードでかなり手の込んだ舞台です。
それと舞台の両端の観客席に近いところまでいっぱいに使っていて、それどころか客席通路に降りてまで歌っていました。ホセ・クーラは桟敷席の客と握手しながら歌ってましたからね。舞台下手の桟敷席の客は合唱団で、どこまでが舞台でどこから観客席なのか分からないような立体的な感じにしていました。最後にシルヴィオがカニオに刺されるところは、2人とも舞台から降りてきて、指揮者の手前でやってました。わたしはトチリ席で見ていたので、とてもよく見えました(でも手拭いはなし)。
「カバ」の演出はとてもおもしろくて、衣装は19世紀なのですが、装置は全くなし。イギリスあたりの芝居みたいです。合唱団が一人ひとつずつ椅子を持って出てきて、12人×10人で矩形に座ります。母親役も出てきて、最前列に座ります。これらの人と椅子の形を変えて、復活祭の教会や居酒屋や、村の広場をつくります。舞台の奥行きを活かした斬新な演出で、よかったと思います。
合唱もすばらしかったと思うけどなあ。ハーディングはいっぱい細かいことをやっていましたが、このこてこてのイタオペはやっぱりスカラ座の音ですよね。ただわたし、早朝からのローマ観光と移動で疲れていて、ちょっともったいなかったです。
スカラ座は国からの補助(二十数パーセント)が削られて、かなり予算的に厳しくなっているようなのですが、実に見事な舞台でした。
プログラムはソフトカバーになって、15ユーロになってました。
■1月17日ひとこと ローマで塩野七生さんとナポリ風ピザを食べて好きなことを楽しく話す。実は前回も教えてもらって行った、とてもうまいピザ。
■1月16日ひとこと フィレンツェでTボーンステーキを食べる。
■1月14ひとこと ベネチア共和国の繁栄がなぜ千年の永きにわたって続いたのか、ドゥカーレ宮、海事博物館で考えました。
■1月13日ひとこと インスブルックで乗り換えて、ハイジやペーターがいそうなチロルの山中を鉄道でアルプス越え。ヴェローナに一泊してベネチアに来ました。
■1月11日ひとこと 1/11ウィーン国立歌劇場 ドニゼッティ作曲「ランメルモールのルチア」、大満足でした!やっぱりオペラはこうでなくっちゃという感じです。 変形「ロメオとジュリエット」なんですけどね。 昨日との違いは、指揮者のカンパネッラがちゃんと全体を把握していたこと(昨日は指揮に必死で、これができてなかったのではと思います)。指揮者は手慣れたもので、音楽と舞台が手に載っているという感じでした。
ソリストは、ルチア(アニック・マシス)とエドガルド(ピョートル・ベチャワ)はすばらしくて、ルチアの兄貴をやっていた日本人の甲斐栄次郎は、ふつうに歌ってました。合唱もよし。「狂乱の場」も迫力満点でした。
演出は、「100年前のものです」といわれても納得しそうなほどオーソドックスなもので、小芝居もなし。これでいいんだと思います。悲劇なんですけど、ニタニタ笑いながらオペラ座を後にしました。あー、ほんとによかった!
■1月10日ひとこと ウィーンに来たんですけどね。どこもかしこも凍ってるんですけど。 えー、すみません、ウィンナ・シュニッツェルでビールをがぶ飲みして、もう1件寄ってしまってホテルに帰着しましたが、3時間前に終わったばかりの、とれとれのウィーン歌劇場情報です。
「妙なる星は光ぬ」 とにかく「やさしい」トスカでした。金管が、スカルピアが登場するまでまったく吠えないんですよ。
この井上さんとジュリアードで同級という指揮者のケリー・リン・ウィルソン=なんとMET総支配人ピーター・ゲルブの奥さんの指揮はとてもていねいで、すべての音をちゃんと出すという感じ。わかりやすくてやさしいです。
で、問題は、カラバドッシはお年のニール・シコフがご都合が悪かったらしく、代役でした。マリアン・タラバというウクライナ人。この人が、「妙なる調和」でまったく声が出ていなくて、ダメだったんです。指揮者はアリアが終わった後に、「拍手かな」と思って一瞬、間を置いたのですが、誰も拍手を送りたいとは思いませんよ。「あれ、アプローズないの?」という変な間を置いて1幕は続きました。
舞台装置はオーソドックスで、1幕のデラ・ファレ教会は、バロックの魂を抜いて形だけ模倣したらこうなるだろうという気の抜けた舞台で(表現主義に徹してくれたほうがまだましと思えるような色遣いの)、上手に礼拝堂、下手に祭壇を配しているのですが、おそらく予算の都合上もあるのだと思うのですが、礼拝堂でカラバドッシが描いているマリア像が観客に見えないようにしているのは、この舞台でいちばん評価できることでした。 で、トスカのキャスリン・ネーグルスタッドはかなりよかったです。スカルピアは、開幕前にスタッフが出てきてドイツ語で何か言っていたので、「本調子じゃないけど歌います」ということだったのかなと思うのですが、まあ悪くはなかったと思います。
「マレンゴの闘いにナポレオンが負けた」ということで踊った聖歌隊のガキどもは、この祭壇に向かって収用されます。テ・デウムは、この祭壇に対して、まずバチカンの近衛兵の格好(でも色が気が抜けた色に変えられている。デザインしたミケランジェロが見たら怒るだろう)をした衛兵が列を作り、その間を信徒の列が進むという、ゼフィレルリ演出のパクリです。堂守にもいろいろ小芝居をさせていました。
第2幕は、トスカの衣装の豪華さに目を奪われます。でも歌手としてファルネーゼ宮に歌いに来てるのだから、衣装が豪華でも違和感なし。 セットは、ファルネーゼ宮の2階にしては小さいほどのもので、ムリがありません。実際はもっと天井が高いはずです。で、問題はカラバドッシで、マレンゴのナポレオンの勝報の後の「ビットーリア」もへろへろで、とてもかなしかったです。これ、イタリアでやったら石投げられるだろうな。この時、トスカがスカルピアとカラバドッシの間に入って取りなそうとするという演出になっていました。 この人、カラバドッシを過去にもやってるみたいなんですけど、準備不足だったんでしょうね。
この舞台を救ったのが、トスカの「愛に生き歌に生き」で、重い雰囲気を吹き飛ばして、観客からことさら長い拍手を浴びていました。ホント、助かったという感じ。 つつがなく(カラバドッシが引かれていなくなったからですが)2幕は終わりました。トスカは3度、スカルピアを刺していました。3度もキスしてもらえるなんてうらやましい。スカルピアが死んだ後は、彼の横に燭台を2本立てて、胸に十字架を投げるというオーソドックスかつまともな演出になってました。キャスリン・ネーグルスタッドは所作ができている人で、十分間を持たせていました。 驚いたのは第3幕。ケリー・リン・ウィルソンが登壇したときに「ブラボー」の声が投げかけられていましたが、いかがなものか。
開幕すると、舞台中央下手に巨大な聖天使の像が立っています。実物に近い大きさではないかと。この舞台の美術費のほとんどはこの像のために使われたものと推察それます。しかし、哀しいことにまったくこの像には劇的効果がありません。タダのムダです。
で、「星は光りぬ」なんですけど、がんばってはいたのですが、厳しかったと思います。指揮者は拍手の時間すら取りませんでした。ウィーンの観客は、「妙なる調和」の時点で、完全に彼を見放していたと思います。しかし、「星は光りぬ」でまったく拍手がないというのは、かなり希なことなのではないでしょうか。本人も、この後の処刑隊の銃に、実際に弾を込めてもらって殺してほしいと思っていたことでしょう。
この状況を何とかトスカのキャスリン・ネーグルスタッドがつないで、最後まで持って行きました。カラバドッシが処刑された後の演出もおもしろくて、銃殺された後にすぐに係員が出てきてカラバドッシの死体に布をかぶせるのですが、トスカがみんながいなくなった後で死体に呼びかけてもカラバドッシが反応しないので、カラバドッシに駆け寄る前にトスカは彼の死を知るという演出になっていました。
キャスリン・ネーグルスタッドに演技力があったから、このあたりも何とかなったと思います。とにかく、彼女に救われた舞台だったです。カーテンコールも、カラバドッシは一人で出てきてすぐ引っ込んだが痛々しかった。ブーがないのが救いか。スカルピアなんか出ても来ません。その分、キャスリン・ネーグルスタッドが万雷の拍手を浴びていました。
まあどうですかね、ケリー・リン・ウィルソンの指揮ですけど、この人「椿姫」や他のイタオペもやってるみたいですが、一言でいうと耳に残らない、刺激のない演奏。トスカから扇情性を取ってどうするのか。プッチーニの音楽の、救いの部分を強調するのはいいけれど、そっちばかり気にかけていてドラマ性が削がれてしまっていると思います。本人はメリハリを利かせているつもりかも知れませんが、でも聞いている側には伝わっていないと思います。この人は「愛の妙薬」かなんかのほうがレパートリーとしてはいいのではないでしょうか。悪口過ぎて申し訳ないのですが。
あと、国立オペラはクローク代がタダになったみたいです。いいことです。
■1月9日ひとこと コペンハーゲンなんかに来たんですけどね。どこもかしこも凍ってるんですけど。あと、ここユーロ使えないじゃないですか!
空港は新しくなってて、鉄道駅ができてました。前はバスだったのに。美しい中央駅はまったく変わっていない。 本場のカールスバーグ飲みました。ライオンの生ビールのほうがうまい。 靴の底に金属が入ってるらしくて、空港のセキュリティでいちいち引っかかるのですが・・・
■1月8日ひとこと 見ましたよ、菅総理のインターネット放送出演。くだらん。視聴者からの「菅が何をやりたいのかさっぱりわからない」という質問に対して、
菅が「わたしの原点は」「市川房枝が」「ロッキード選挙が」「市民運動が」・・・とまったく答えにならない答えをして、それに対して宮台氏が、アリストテレスが・・・、マックス・ウェーバーが小室が・・・と、こっちが話しているほうがかなーり長くて、菅が何をやりたいのかはますます遠くに行ってしまいました。要するに菅は「オレはお山の大将になることしか考えてなかったから、他にやることはないんだよ」と言っているのと一緒です。「ひでえなあ」と思わず口について出てきました。無意味だ。1時間聴いているのが限度だった。FMでやっていたヤンソンス、コンセルトヘボウのラフマニノフ「交響曲2番」のほうがよっぽど雄弁で、こっちに替えました。
小泉さんならこんなアホな話にはならない・・・いや、ふつうの政治家であれば・・・
■1月7日ひとこと 年末年始のあいさつ回りって、まったく意味ないと思いませんか。本気で最低コストのサービスを提供しているのであれば、あいさつになんか行くヒマないいはず。あいさつに来ている人間のコストが価格に載っているのは明らかです。4人そろってあいさつに来ている新聞社の広告部を見て、(これって競争が不完全なために余剰利得が発生してる証拠だよな)と、とても複雑な心境になりました。しかも、誰か来る度に対応しなきゃいけなくて、仕事にならないし。
でも行かないと「あいさつがない!」と怒るバカ者がいるからこの悪習が続いてるんでしょうね。まさに虚礼。
■1月6日ひとこと マル激トーク・オン・ディマンド 第508回(2011年01月05日) 特別番組 菅首相生出演!総理の言葉はネットに響くか
ゲスト:菅直人氏(内閣総理大臣)
これはすごい! 快挙と言えます。神保さんは民主党のみなさんと仲良かったからな。しかし、これはある意味、小澤に対抗するためにここまでやらないといけないのかということですけどね。タイトルが菅の焦りを表しています。因みに、ニコニコ動画で小澤のホストをやっている角谷先生ともわたしは親しくさせていただいたりしますし(一緒に旅行に行った記憶が)、神保氏と角谷氏も長い付き合いですから、私から見るとそういう友人たちの掌の上に乗っている民主党ってなんなのかな〜と思わずにはいられません。
■1月5日ひとこと 塩野七生さんが「文藝春秋」誌上で巻頭随筆のトリをずっとやっていますが、久しぶりに新年号をちらっと読んでみたら、外交について、相手の国のことを考えて、やるべきことはさっさとやれといった類のことを、子どもに噛んで含めるように書いてありました。これ、日本の政治家向けにはこう書かなくちゃわからないから書いているんだと思いますが、もし翻訳して外人に見せたら大笑いされるのではと思わずにはいられません。
塩野さんは驚くべき鋭さの洞察力を持っている人なのですが、その彼女をしても、日本の政治家にあわせると、こういうことを書かざるを得ない、そのくらい日本の政治のレベルは低いということなのだと思います。まずこの、レベルの低さを認識することが必要だと思うんですけどね。日本の政治家の持つ政治的スキルは、児戯にも等しいと。
■1月1日ひとこと 明けましておめでとうございます
いま、「自衛隊vs.人民解放軍 我らもし闘わば」を平日に連載していますが、これは「誰かがこれを言っとかないとまずいだろ」というお話です。正しい外交判断や、健全な世論形成のためには、ぜひ必要な情報です。でもどこにもないので、自前でやっているわけです。 「目をつぶってさえいれば嫌なものは見ずにすむ」と思っているような人には嫌われると思うけど、このサイトをご覧のみなさんはとってもまじめな方々だと思います。