よりリスクを少なく、リターンを大きく
運営者 ざっくり聞くんですけど、金融工学が目指してきたものって一体何だったんでしょうか
飯坂 狭い意味での金融工学では、さまざまなマーケットの変動に対して、リスクを完璧にコントロールすることでしょうかね。たとえば株価や金利や為替が動いても評価額が変動しないポートフォリオを構築しリスクを管理する、とか。
広い意味では、よりリスクを少なく、リターンを大きくするためにやってきたとしか言いようがないけどね。
工学という言い方が果して適当だったのかどうかはわかりませんね。金融科学という言い方でもいいんじゃないかと思うけど。何とも言えませんが。
運営者 エンジニアリングという言い方をすると研究ではなくて、開発製造というイメージになりますね。
飯坂 インプリメンテーションが必要ということですな。それはそれでいいんじゃない。
金融工学というのは一定の仮定条件のもとで成立する数学モデルです。それを現実のデータに対していかに当てはめるかということだから、そういう意味では経済物理学というのは正しい方向のひとつだと思いますよ。
モデルは、公理の上に組み上げられた数学をツールとして表現され、できるだけ現実を再現できるようにパラメータを推定(金融工学ではキャリブレーションと言ったりします)することによって実装されます。現実をモデル化できるかという問題はどちらかというと哲学の領域だと思います。
経済は人間の活動によるのだから再現不可能であって、そんなものは科学ではない、という人もいます。そんなことを言ったら明日お天道様が東から昇ってくるのだって、絶対的に再現可能かなんて誰も言えません。太陽を周回する地球の軌道だってニュートン=ケプラーモデルの完全な楕円ではなく、微小にフラフラとした揺らぎを持ちながらも何とか365.2422日後には「元の場所」に戻ってきているように見えるのです。人間が作り出した科学で、完全に再現可能なものは純粋数学のなかにしか存在しないのです。
そもそも原子核って何?クォークって何?重力って何?ってことだって、未だ研究途上なわけだし。それでも船は浮いてるし、飛行機も飛んでいます。電波は見えないし感じられないけど、ちゃんと伝わってテレビは映るし携帯電話もつながるわけです 。
運営者 金融工学は金融のどの分野で一番活用されたんですか?
飯坂 証券でいえば債券の分野でしょうね。
1980年初頭の米国債市場において、イールドカーブの概念が広く使われるようにました。スポットレート、フォワードレート、ゼロクーポンレートといった概念が整理され、それらの関係式が導出されました。金融工学以前は、国債でも社債でも買ったら金利をもらって満期まで持ちきるというのが一般的だったんです。もちろんマーク・トゥ・マーケットなんかしません。当時でも2年物の利回りより10年物の利回りの方が高いのが通常であり、変動があるときは同じ方向に動くことが多かった。一方で利回りの差は広がったり縮まったりします。というようなことを、1日物から30年物まで繋げていったのがイールドカーブです。イールドカーブはでこぼこしていることも良くあるので、それを滑らかな線で結ぶ方法も発達しました。その後はオプション価格理論を軸とした確率過程モデルが急速に発達し、複雑なキャッシュフローの金利派生商品が取引されるようになりました。
LTCMが得意としていたイールドカーブ・アービトラージというのは、イールドカーブの微小なゆがみを発見し、それが修正される過程にスペキュレートするものでした。リラティブ・バリュー(相対的価値)を比較して、安いものを買って高いものを売る、と言えば簡単ですが、複数の商品を組み合わせて複雑なポジションをとります。
一方で、今回の金融危機で槍玉に挙げられている証券化商品の発達は、コンピュータ・シミュレーションの能力が飛躍的に向上したことによって可能となりました。シンセティックCDOは、何千もの住宅ローンを集めたMBSの比較的リスクの高いクラスを数十~数百本集めて組成されます。したがって1つの金利シナリオに対して数十万~数百万のローンについてキャッシュフロー・シミュレーションを行う必要があります。さらにシンセティックCDOを数十本集めて組成されるCDOスクエア、CDOスクエアを数十本集めて組成されるCDOキューブという商品も開発されました。ここでバブルがはじけてしまいました。
運営者 ふむ。
飯坂 でもそれ以外にも金融工学だけじゃなくてでエコノメトリクスまで話を広げるとすると、国家経済運営にはモデルが不可欠だろうし。例えばリーマンショックが起こった後、トヨタやホンダは毎月のように利益予想を下方修正していったわけですが、これはどのようにしたらできるかというとエコノメトリクスのモデルによって計算して出てくるわけです。
エコノメトリクスは全知全能ではないのは自明の話です。今のところ実用可能なモデルの大半が正規分布を前提としてインプリメントされているので現実に合わないという批判も仕方ありません。しかしながら例えて言えば、本当は乱視のメガネが必要なところ、近視のメガネしかない状態とも言えるでしょう。メガネがちょっと歪んで見えるからといって捨ててしまえ、というのは余りに暴論です。
運営者 へー、そうなんですか。ブロッコリーも過去8年ぐらいずっと業績予想の下方修正を続けているのですが、計量経済学を使っているとは聞いていませんが。目の子勘定の目の子メトリクスを使ってるんでしょう(笑)。
飯坂 地デジカじゃなくて「地でじこ」になればよかったのにね。
運営者 シカは酒飲まないからなぁ(笑)。
それで金融工学はこの先どうなるんでしょうかね?
飯坂 金融工学はもう当たり前のものとして存在しています。
保険会社には昔からアクチュアリってのがいたじゃないですか。それと同じような感じになってきて、全金融機関のリスク管理部門に生息してマーケットリスクやクレジットリスク・流動性リスクを管理するようになったということです。カウンターパーティーリスクもあるんだけど、それをクレジットリスクにどう混ぜていくか・・・
とにかく金融工学自体はなくなることはないし、足りないツールをもっとこれから増やしていくことになるでしょう。すそ野も広がっていくでしょう。それが世間一般には、何やら怪しげな錬金術のようなものだと思われているのは、あまり好ましいことじゃないですね。
運営者 オズの魔法使いみたいなもんだと思われてますよ。それでチョロチョロと粉を振ってケイマン諸島を絡ませると、粘土細工が金に変わると。ミダス王であると。
飯坂 ほんとですか。うーん。そんな甘い話あるわけないじゃないですか(笑)。