金融工学発展小史
運営者 ところで金融工学というのは、どこから出てきて、どうやって発展してきたものなのですか。
飯坂 そうですねえ・・・
ハリー・マーコウィッツが1950年代に現代ポートフォリオ理論を提唱したのが最初なんでしょうね。その後ウィリアム・シャープという人が出てきてシャープレシオを作ったのが60年代前半かな。この辺までは株式投資のリスク・リターンの測定および最適化がメインテーマです。
それから例のブラック-ショールズ式が出てくるのが73年。そして79年にポール・ボルカーが金利を上げたことによってボルカーショックが起こり、それまでアメリカのトレジャリー(財務省証券)はバイ&ホールドが基本だったのが、イールドカーブトレードというのが始まったわけです。ソロモンの債券調査部門の神様だったヘンリー・カウフマンがイールドブックというものを創って、それをベースとしてジョン・メリウェザー(のちにLTCM創業)のチームによってイールドカーブ・アービトラージが誕生しました。
それと相前後して83年からCMO(Collateralized Mortgage Obligation)というのが出てきました。これは何かというと、パス・スルー証券というアメリカの元々のモーゲージプールを証券化したものをそのまま流すようなものがあるのですが、その元本と金利の部分を分けて売買したり、86年にできたREMIC(Real Estate Mortgage Investment Conduit):不動産モーゲージ投資導管体で、SPCを使って元利金の支払いの順序を契約書で自由に決めても二重課税されないという仕組みができて、これらによってモーゲージ証券のデリバティブ化が進んできたわけです。
元々アメリカではモーゲージ証券の市場規模は、アメリカの財務省証券と同じくらいに成長してきていたので、そうした取引が盛んに行われました。
民間の金融機関の債券を証券化することが始まったのも86年くらいです。これはクレジットカード債権の証券化が最初です。その後自動車ローン、教育ローン、ホームエクイティーローン(住宅の担保の余裕の分、借り入れをする消費者ローン)と続いて、サブプライムにいたるわけです。
さらに80年代にはマイケル・ミルケンによりジャンク債市場が成立しました。また格付け機関は、証券化商品の格付けにつきデフォルトリスクが同等であれば社債と同じ格付け記号を使用すると定義しました。このあたりまでが、1990年くらいまでの金融工学の誕生の過程といえるのではないでしょうか。
デリバティブ、SPC、証券化、格付け、ワークステーションといった基本ツールが出揃ったのが90年前後です。CDSやバリュー・アット・リスクは90年代後半に広まりました。
運営者 それでデリバティブ全盛の時代になったわけですね。
飯坂 全盛なのかどうかはわかりませんが、90年代後半には、日本では利益操作のためにデリバティブが盛んに利用されるような時期がありましたけれど。
運営者 『大破局(フィアスコ)』に書いてあるような時代ですな。
飯坂 そういうことです。ただまあそれは、世界的な傾向とはちょっと言い難いかもね。
運営者 日本企業はカモにされただけでしたからね。
飯坂 まあどちらに悪意があったかというと・・・
運営者 買い手側にあったと思うし、それを自覚してやっていたと思いますけどね。やっていた買い手側の連中は全員もういなくなっていると思うし、損失を先送りしたけれど潰れた銀行も少なくないし。
しかし今生き残っている銀行では、あの当時やっていたデリバティブ取引というのはどうなったんでしょうかね。。
飯坂 償却してるんでしょうね。たいがい10年くらいだから、もうなくなっているのでは。