なぜ日本人は互恵性を失ったのか
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 旅行者の感傷的思考ですがね、ヨーロッパに行って思ったんです。「どうして日本人は、利己心ばかりが旺盛で、社会性・公共性にさっぱり欠けているのかなあ」と。
それは昔からそうだったのではなくて、昔は互恵的な精神があったのに、それがだんだん失われていったんだと思うんです。
飯坂 なるほど。その理由は何ですかね。
運営者 ひとつには、日本は島国だということ。
ミラノに元旦に着いたのですが、その日のイタリアのニュースのトップは、まずユーロの流通開始。次がローマ法王のスピーチ、これは世界中に知らされますからね。。3番目がアフガニスタンの戦争。次がやっぱりパレスチナ問題な訳です。彼らは外国を身近に感じてますよね。ヨーロッパの人たちはみんな二カ国語以上しゃべれますし。
じゃあ同じ国なのかというと、やっぱり国は違うわけです。つまり「国際性」はある。そうすると常に「自分たちはヨーロッパ全体の中で何なのか」ということを、考えるでしょうね。で、その思考をそのまま延長して、地球全体にまで広がっていくいうのは、そんなに難しいことではない。
スウェーデンとか、ノルウェーとか、あの辺の地球の端っこの奴が……。
飯坂 どこだって、地球の端っこですよ(笑)。
運営者 そうですね、地勢学的に見ると、端っこに見えるような人たちが、中国の環境問題について考えていたりするというのは、日本人から見ると驚異的なことですよ。
で、その反対に、外国から日本のニュースをインターネットでチェックしてみると、正月になると日本の場合はすべてがリセットされてしまうので、本当は事態はますます悪化しているのに、何かよくなったような幻想が生まれているわけです。だから僕が旅行していた3週間の間は、正月明けで日本全体が止まっていましたね。唯一やったのが、ダイエーにバンドエイドを貼るという手当だけでした。
飯坂 そうですね。
運営者 僕から見ていると、3週間の間、日本人はまったく時間を無駄にしているわけです。これはすごいなと。
この島国の中にいて、1億2000万の人たちが自家中毒的なことをやっている限り、ダメなんじゃないかのな。レミングの集団暴走のように、どこかに向かってるのかわからない暴走をしていても、島国の中にいる人たちには分からないわけです。
必要なのは文化的な刺激ですよ。
生きるために必要なまともな感覚は、どうすればできるか。それはものが食えないとか、環境が厳しいければできますよ。みんなが生きるために必死になっているときには、やっぱり損得勘定するし、「目的を達成するためにはどうすればいいか」という経済合理性に基づいた最善の判断ができる。倫理観もできてくるし、それを守ろうとするはずなんですよね。
昔は日本人は、この島国の中にいて、かつ食えていなかったから、社会の中で、互恵的な長期的関係をつくろうと努力したはずなんです。それでそういう文化が培われてきた。
しかしここ10年、日本人は何をやっていても食えたわけです。だから日本人は無意味に暴走して、みんな勝手なことをやらかしてしまった。そしてその暴走が、現在では過去の遺産を食いつぶしてしまい、今度は将来の世代に借金をするというところまで行ってしまっている。そうやって食いつないでいるのが現状ですよ。
飯坂 つまり、豊かになってしまったので、別に互恵的なことをしなくても食べられるようになったから、互恵的ではなくなったということですか。