法律はあくまで建前であって、本音は別よ
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 つまり、豊かになってしまったので、別に互恵的なことをしなくても食べられるようになったから、互恵的ではなくなったということですか。
運営者 マーチ=サイモンの「適応的動機行動モデル」の延長です。
飯坂 もうひとつの考え方としては、昔から商人というのはこすっからかった。ドメスティックには大阪商人、近江商人なんてのは世界における華僑やインド商人と同じようなイメージです。ところが明治維新のときに、商人の中に武士が入ってきた。戦後の高度経済成長期には、昔はお百姓をやっていた人たちが、商人の世界に入ってきた。そうやって素人が入ってきたがために、素人の特性であった互恵性というのが広まったのではないか。
運営者 それはおもしろい。なるほど。
飯坂 雪印の集団食中毒にしても、牛肉の不正表示の問題にしても、商人の本場である大阪で発覚したことです。でも雪印というのはもともと北海道の会社で、社会主義的な成り立ちで出来てますから、商人とは正反対の風土なんですよ。
だから商道徳というものを誤解しているとか、巧く乗っていないところがあるかもしれませんね。だから刺されてしまったと。
雪印の文化に染まった人間が関西に行って営業をやるときに、その2つの文化を融合させるのは大変だと思うんです。雪印は全国的に無理をやってたんじゃないかなあ。悪いことをやるなら、もっともっとずるくやらなければいけないところだったんでしょうね。東京なら大目に見られたかもしれないけれど、生き馬の目を抜く関西ではそれは通用しなかった。
そこに歪みが出たのは、偶然ではないような気がするんですよ。雪印は士族の商法の典型ですよ。
運営者 証明するのは難しいけれど、非常に示唆に富んだ考え方ですね。さすが道産子の観点ですな。
たぶんね、高度経済成長期には、何をやっていても成長できたわけですよね。生物学的にいうと「適応放散」というのがあるんですけど、例えばオーストラリアみたいな天敵のいないところに生き物を放すと、あっと言う間に広がっていくという感じですよ。
そういうところでは、倫理は育たないですよね。
飯坂 倫理の問題は、わが国の法曹界の成り立ちにもよるように思うんです。明治時代に作られた法律は、すべて輸入されたものですから、そのようにして出来上がった成文法は、民衆が納得するものではなかったですよね。慣習との間には乖離がある。
運営者 納得していたのは役人だけで、民衆の意識からはかけ離れたものだったでしょうね。「憲法発布」は「絹布の配付」だったんですから。
飯坂 その状況を放置していたために、日本人の間では「どんな法律でも、法律はあくまで建前であって、本音は別よ」という認識があるわけです。
運営者 そうですね。「法律は守る必要はない。捕まった人は運が悪いだけだ」。あるいは、「お上が怒るくらいに逆らうと捕まってしまうから限度をわきまえよう」という感じでしょうか。
これはアジア的な価値観でしてね。中国がWTOに入りましたね。西側諸国は「よかったよかった、これで自由主義の勝利だ」と思っているでしょうが、とんでもない。中国側の意識としては、「おれたちはWTOには加盟する。しかしWTOの決め事を守る必要はない」ということなんです。まあほんとにこういう考え方をしているし、それが悪いとも何とも思っていないわけ(笑)。
飯坂 彼らにしてみれば、アヘン戦争以来蹂躙され続けてきたわけですから……。