新日本人の組織観 ■
合目的的組織観ち
「組織は目的追求のためにある。目的に則したより高い価値を生むためには、上下関係や、その組織の中だけでしか通用しないルールは無視してもよい」と、合理的に考えている
新日本人は、「企業は目標を達成するために存在しているのであり、自分の仕事はその目的達成に添うように定められているのだから、目標さえ達成すればそれでよし。それ以上に組織に拘泥するなどむだなことだ」と思っている。こうした目的合理性もまた、組織を絶対視し、「至高の価値である集団の秩序維持に盲目的に従わなければならない」と考えている旧日本人の頭の中には存在しない概念である。
新日本人は組織の中の指示命令系統や内部牽制の仕組みにはきちんと従うが、価値の創造を伴わない繁文縟礼は、無駄なコストとして退ける。新日本人が従うのは、より高い次元で普遍的に通用している、他人との節度ある付き合い方であり、身内だけでなく全ての人びとに対する思いやりである。
「身内だからといって機会は他と均等に与えられなければならない。分け隔てをするのはおかしい」と考える。この点、「身内の依怙贔屓には正当性がある」と考えて、社員の新卒採用でも取引先や社員といった身内を優先しようとする旧日本人とは対照的だ。身内で固まって、お互い贔屓し合うことで、顧客にどのようなメリットがあるというのだろうか。
ところが旧日本人のロジックでは、「組織外の人間との関係を重視して、身内に気を遣わない態度」は、所属組織に対する裏切り行為であるとみなされる。そこには仲間=組織目的という歪んだ組織観がある。先のドコモのケースで言うと、「出入り業者に利得を与えようとするなどけしからん」ということになる。組織成員にはあくまで身内優先が求められるわけだ。しかしそれではみすみす大きな魚を逃がしてしまうことになるだろう。
これまでの日本企業は、そうした身内主義を社外に広げて談合的な企業系列を形成してきた。広告代理店の新人採用には、ある一定額以上の広告出稿をするクライアントの子弟に対する特別枠があると言われている。そうした慣習は企業社会の安定には貢献したかもしれないが、社会に対して新しい価値を提供する機会をもたらしたかと考えると、むしろ逆であると思う。
新日本人にとっては、「組織の論理を延長した談合的な競争制限」はいかなるものであっても、「価値創出」の観点から唾棄すべきものである。