「忠孝一致」というマジック2
その中でわたしは、「忠孝一致」というキーワードに注目をするべきだと思います。「忠義」というのは封建君主に対する家臣の忠義のことで、これは一種の契約関係ですから、主君が土地を取り上げるとか自分の生存を脅かした場合は、裏切りもあり得る関係なわけです(江戸幕府は朱子学を採用することで裏切りの可能性をたくみに封じ込めましたが)。
一方で「孝」というのは親に対する孝行の気持ちですから、こちらの方は契約にもとづくものではなくて、自然のことわりとして裏切りがあり得ない関係性です。
江戸時代末期になって考え出された「忠孝一致」の考え方は、「天皇は統一的な日本国民全員の父親である。従って天皇に対しては契約関係でつながっている藩主とは違った、父親に孝行するように絶対的な忠誠を尽くさなければならない。極端に言うと、日本人は天皇の赤子なのだから天皇のため死ぬのは当たり前だ」という考え方は、このときにつくられたのではないかと思います。「天皇に対するわれわれの忠誠は、子供が親に対して尽くす思いと同じである」という価値づけがなされたわけです。
この考え方にもとづいて、それまで300にわかれていた日本は、天皇を中心とした国家に、建て前としてはなったわけですが、幕府や藩という絶対権力を打ち立てて、そこにみんなが依存するという支配体制がぼろぼろになってしまったので、依存の対象をリニューアルした天皇制に乗り替えただけなのです。そして実際のところ天皇が持っていたのは権威だけで、統治の実権は明治政府を打ち立てた薩摩長州の官僚や軍人たちが握るという、以前のパターンが復活したのだと思います。それまで民が依存する対象は藩という小さな家でしかなかったのに、それが今度は日本国全体が依存する対象になったわけです。