木下 太陽光発電補助金をつけたところが、このままでは絶対に回らないということが明らかになったので、土地が余っている九州など発電コストの安いところから買取を停止しようとしている。
これもまた、原発と同じで、だれかの金にぶら下がって生きるクセをつければつけるほど、自分の首を絞めてしまうということですよ。
そういう構造の中にあるんです。
運営者 全くそう思います。それが戦後の日本で.日本列島改造論以来大手を振ってきた、中央集権による金配りシステムです。それは人間や経済をダメにするやり方なんです。その最後の生き残りで最大の怪物が、電子力による発電システムだったということでしょう。
木下 僕にとっては、原発というのは因果だと思っていますよ。
運営者 どういうことですか。
木下 日本テレビに90年に入社したのですが、入社試験の時に、人事部長が、「君が原発に反対しててもいいから、頼むから最終面接でジャイアンツと原発の悪口だけは何も言わないでね」と釘を差されたんです。「向こうも聞いてこないと思うから、わざわざ言わないでね」と。
運営者 えーっ!
木下 その時、「ああ、やっぱりそうなんだ」と思いました。
今にして思えば、原発に関することは、二重言語、三重言語になってるんです。
「この問題は語られるとまずいから、みんなしゃべらないようにしよう」とする圧力が、有言無言にあるということです。
そのくらい日本テレビは原子力発電に関係していたのでしょう。日本テレビが会社としてずっと原発を推進していたというわけでもないのですが、アメリカ国務省のエージェントと話して最初に原子力発電を日本に持ってきたのは、柴田秀利という日本テレビの当時の重役だったんです。これは柴田氏の著作に書いてある話ですから。
少なくとも日本テレビという会社は原発の導入において、先導者として実質的な役割を果たした歴史的経緯があると考えるべきでしょうね。僕はその会社の二重言語状況を入社当時に偶然に知っていた状況もあったということです。
だから僕にとってこの放射能問題は当事者感がある、大きな問題なんです。
他人事で済ませるような感覚は、僕の中にはありません。
もちろん福島原発事故の前にあった、放射能事故である東海村のJCO事故にも、偶然長期の現地取材をしましたしね。そういう被曝ということを、絵空事でなく現実感の中で捉えた時間が僕にはありますから。他の方達と決定的に違いますし。
運営者 そうですね。