役立たずの学校を放置しておいていいのか
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 それは本末転倒で、そもそも日本人の共通認識として「学校で教わることなど役に立たない」というか、「世の中に必要なことは学校で教わることだけではない」という命題は正しいと思うんですけれど、「学校で教わることは世の中では役に立たない」というところまで行くと、おいおいちょっと待てよとならなきゃいけないんじゃないですか。
運営者 そうですね。
飯坂 「学校で習うことは役に立たない」という共通認識こそが、教育を堕落させているのでは。そもそも教育の目的というのは、先人の知的成果を体系的に後世に伝えて効率よくその成果を伝えることにあるはずですよね。そのこと自体を放棄して、「別に役に立つことであろうがなかろうがで100点を取る」、ということが目的になるというのは完全に本末転倒な話だと思いますね。
これだけの経済大国でありながら世界の大学ランキングでは100位に入る大学がない。結局どこの大学を出たかというラベルだけが最終的に必要になって、換骨奪胎されてしまったわけです。上級学校がそうであるから下級学校についてもそのようなことになしまい、別に「何を勉強するか」ではなく、「どこの学校に入れるか」ということが目的となり、勉強する内容などどうでも良くなっている。
明治時代の殖産興業時代であれば「国を豊かにするために教育をしよう」ということで目的が一致していたから、それなりにうまく目的と手段が一致したと思うんですが、戦後いつからかわからないですが「大学で習うことは役に立たないから、会社に入かってから教育をやり直す」という動きができてしまいましたよね、それはおかしい。大学でやることが役に立たないのなら、なぜ役に立つようにしないのか。
企業社会のほうも、「大学教育は役に立たないんだから」と放っておいて、OJTという名の徒弟制度の中に入れるだけです。だから日本の製造業は発展することができたんですよ。試行錯誤ばかりを徒弟制度の中でやってきたわけですからね。それは論理的な世界でも何でもなくて、逆に欧米流の合理的なな考え方をすると、こういうやり方はできなかったかもしれないけれど、アカデミックに日本の工業が発展してきたわけではないと思います。
運営者 社会に必要な人材をどのようにしてにして作るかという問題に立ち返ってみると、企業とすれば、自分のところに必要な能力を持たない人は必要ではない。
大学の入学試験では判断のできない能力、例えば物事の意味を大掴みにして、それついて判断をしていく能力をどのようにして評価するか、それが評価できないのなら、企業自体も立ち行くはずがないんです。