高い「志」のみが成熟社会を支える
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 とにかくこの、経営センスがあるかということと、ネットワーク対応ができるかということについては「学校では教育してないな」というのが私の印象ですね。
飯坂 それは、学校自体が公立学校であるから「コスト」を全然気にしなくていいですからね。
運営者 もう一つは、儒教的なお金に対する恬淡さというのはあるかもしれませんよ。それともう一つそこに影響してるのは、「自分がやらなくても誰かがちゃんとやってくれるに違いない」というもたれあい意識でしょう。それがあるとコスト意識はあまり考えなくなります。
飯坂 でも、「お金儲けだけが生きる道じゃない」という考え方、「そこそこ暮らせればいいや」というのも、私はそれでいいと思いますよ。
運営者 それで食べられればね。
こういうことなんですよ。なぜ環境保護に生きる人ができるかというところがすごく重要で、彼らとは別に「生産する人」というのは絶対に必要なわけです。仏教がすごくおかしいなと思うのは、「みんな坊主になってしまえばいい」というんだけれど、「じゃあいったいだれが生産すればいいんだ」というところに決着をつけてないところがおかしい。
飯坂 みんなが坊主になって生産する人がいなくなれば、みんなが極楽に行けるからいいというのではないんですか。
運営者 なるほど、それはまあ正しいかもしれない。理屈が通ってますけど。それじゃ意味がないわけですよ、宗教の社会的機能として。
実はね、ネットワーク対応ができる人間こそ、NPOの役割が理解できると僕は思うんですよ。つまり社会には、ある種の機能を果たさなければならない人が必要なんだという、「その機能を私が果たそう」と考えられる人がNPOに行ったり、環境保全とか、地雷撲滅なんかに身を投じることができるんだと思うんです。
そういう自己投企は、弱肉強食的な原始的な社会であったり、あるいは封建的な社会では、成立し得ない精神構造だと思うんです。僕はその、環境保護団体などで、「給料は安いんだけれども非常に精神的に充実した社会的機能を担っているんだ」という、高い志を持った人々が出てきた社会というのは成熟した社会だと思うわけです。
飯坂 ただね、精神的に充実した社会的機能を担っていると称する人々のなかには、たとえば「経済活動のニーズに応じて弁護士の数を増やすべきだ」と言われると、「弁護士の数を増やすと、人権擁護活動をしている弁護士が食えなくなるから、弁護士の数を増やしてはいけない」と言ったりする人もいるんです。それは本末転倒であろうと。
運営者 まあそういうふうにNPOという地位を利用して、さんざん勝手な事やってる奴というのはいますから、注意するべきだと思いますがね。日本にはもっと伝統的な財団法人というのがあって、同じような活動をしていたりするわけです。財団法人の大部分というのは似非であって、社会的機能を考えずにやっていたりするわけですから。
飯坂 本来は営利にそぐわないものを財団法人でやるということであるはずなんですけどね、元々の理念としては。
運営者 公益法人というわけですが、名前とは全然違うことをやっていたりしますよね。