サラリーマンはなぜ格好良かったのか
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 元々戦後の学制改革でアメリカ型にしたわけだから、大学4年間は教養科目に徹すればいい。そのうえでロースクールなりメディカルスクールなりの専門教育に行く人は行けばいいと。
運営者 もう既にそのような方向性や認識が出てきているわけですが、それがアメリカのまねではなくて、成熟した社会では必然的にたどるコースなわけであって、アメリカ人はそのようなシステムを開発する能力に長けているということだと思うんです。合理的な社会制度を開発していく力が異常にあるのではないか。
飯坂 彼らの成功要因は、プロテスタンティズムの論理ですよ。すなわち、「金儲けは勤勉のあかしである」というようなコペルニクス的な転回をしたでしょう。そういう免罪符を出してしまうと、人間やはり強い。
運営者 でも日本の会社だって一応の目的としては利潤追求しなきゃいけないことになっているでしょう。日本でもアメリカでもあまり変わらないのでは。重要なことは、なぜ日本人は大学を出てからに3年程度の社会経験を経て、それから専門教育を受けるという道筋を考えつかなかったのかということですよ。それがなければ、ビジネスについての学問も発達しない。
飯坂 会社に属さなければならないというのは、親の世代の感覚として「安定した月給取りに対するあこがれ」というのがあると思います。
運営者 負けた戦争を経験して、ひもじい思いをしたことがある人間は、安定に対する希求があるんですよ。
飯坂 前線から帰ってきても、人がいないので大企業にすんなり戻れました。そうすると復員してきた次の月から月給が入ってくるというのは、これは見ているとうらやましいんですよ。そういうことをよく見ている世代もいます。
運営者 下山事件の背景には、国鉄が復員を受け入れたことで、戦前は20万人だった職員が60万人に増えていた。これを12万人削減しようという、リストラを巡る組合と下山国鉄総裁との確執がありました。とすると、会社の側も結構野放図に復員者を受け入れたのかも。
飯坂 一方、自分で商売をやってる人は、「博労」(ばくろう)という言葉に代表されるようにブローカーですからね、1発当たれば大きいけれど、非常に不安定で、ものを知らない人には高く売りつけて、知っている人には適正な値段で売るという、商業倫理などというものとはほど遠い世界。そういうのが遠い記憶として残っているが故に、月給取りからは離れがたいという文化的な側面があるわけですね。
運営者 ということでね。ほんとは大企業でも、その情報の非対称性を利用したあこぎな商売でほとんど食べているのですが、個人でやると博労でも、大企業がやると「ビジネス」になるという大いなる勘違い。したがって、企業に属するということが自分の看板になる、ブランドになるわけです。
社会的にも、社会資本整備の要請が高かった時代には、産業への人材供給として、企業に人材を集めることは極めて効用が高かったわけですよ。その時代の話であれば、それは「博労よりはサラリーマンの方がいいかもしれないかな」というイメージがついたということも理解はできます。でもその部分の要請については、50年間にだんだん埋められてしまったと思うんですよ。
「サラリーマンの方がいい」というお家的な認識というのがあるというのは正しいでしょう。だからみんな会社を辞めることに対する抵抗がかなりある。ではサラリーマンというのはそんなにリスクのない商売だったんだろうか。例えば植木等が演じていたような平 等(たいら・ひとし)というキャラクターが成り立つのは、逆にサラリーマン人生が厳しかったからこそかもしれません。ただその厳しさは宮仕えとか、城内に出仕している下級武士という厳しさだったろうと思うんですよ。それは役人根性に近いような話であって、価値のクリエイターとしての厳しさではない。