「自分で稼いで生きられる」新日本国のかたち
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 基本的に戦後は常に資本が足りなくて、資本は大蔵省から興銀を通して計画的に大企業に配分されて、そこに群がるサラリーマンがまず最初にその果実にありつくことができたということがあったんです。そうすると、80年代になって企業が自前で資本市場から資金を調達できるようになって、その時点でそういった仕組みが本当は終わっていなければならなかったというのは、みんなが言っていることですよね。
運営者 ええ、中央集権の世界では、企業が自前で市場から資金を調達するなどということはケシカランことだったんです。掟破りなんですよ。戦前なら、企画院と産業別統制会が資金と物資の流れを完全に統制していたし、その仕組みが戦後になって復金・安本・日銀の協調融資・興銀の産業金融・業界団体にそのまま移行しただけです。資本については、1930年代後半に、産業国有化政策というのがあって、株式所有は国民のままで、経営は国家が握るという極端な資本主義の否定までやろうとしていたんですからね。
だからここで明らかになってくることは何かというと、わが国の中央集権構造というのは明治期に確立されたように見えますが、その前は藩というサブシステムの中で行われてきたことが、明治期に全国に拡大され、1930年代に革新官僚がナチスの戦時制度をごっそり輸入して巨大なシステムにしてしまった。ですが、基本的には日本の勤め人のマインドや、やっていることは、江戸時代も今日も変わっていないということです。幼稚産業という言い方があるのなら、幼稚経済システムだと思いますね。
それじゃ、困るんですよ。国に食べさせてもらうのではなくて、自分で稼ぐんだ。
重要なことは、自分の持っている能力を生かして稼げるくらい、日本の組織は社員を切ることが出来なければならないし、「働いて食べていくことは自由にできる」というところの担保が必要である。自立するにしても、サラリーマンにならずに、自分でちゃんと食べられるという意識的な補償がないとなかなか難しいでしょう。それはもっと、オープンな社会にならないと。
飯坂 地方の人が、情報や資本に関して、東京の人に対してあまり不利ではないという状況になったら、それで地方にいて適当に仕事をして食べられるようになればいいんですよね。
運営者 とすると、コスト構造をもっと下げる必要があるでしょう。それは当然下がると思います。相当日本は無理な形になっているから。
カネはジャブジャブ余っていて、かつ国債を買わせるために超低金利にしていて、国債を乱発することで都会から田舎にカネを回していると。この仕組みが潰れると、日本の企業もどんどん潰れて人が自然に企業から吐き出されるという調整があるでしょう。その頃には円も下がって、保護産業政策もなしになって、外国から自由にモノが輸入できるようになっていれば、物価は現在と比べると相対的に安くなるはずだと思うんですよ。というのは、今はわざわざ高いものを輸入しているから。ブランド物なんかいらないわけで、昔の加工貿易国に戻って原料や中間財しか輸入しない。かつ極端に安い輸入食料品が供給されるようになっていれば、安く暮らせる国になる。
だから、これだけ借金があったら、おそらくこれはもうインフレは明らかに起こるので、それは仕方がないとして、それが社会的なダメージとなったときに、「その後に如何にすばやく生産力を回復するか」というのが現実的に準備しなきゃいけない問題なんじゃないのか。
そこで必要になってくるのは各々が個人として自立して事業を起こしたり仕事をして生きるための、人をネットワークする力であり、経営センス、それを持っている人たちがまた新しい組織をつくっていくという、知識産業的でフラットで、アイデアをもとに付加価値の高いサービスや財を供給することができるユニットをいっぱい作っていって、それは会社組織がほとんどだと思うんですけれど、そういう会社が日本中にできるといい。その時には地価も下がっているし、インフラのコストや電気代も下げて、安くやっていけるような、そういう国になってほしいなというふうに思うんですよね。そういう是正の仕方しかないんじゃないのかな。