見えない人は幸せ哉
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 ただ現在、多くの新日本人がそのような状況で塗炭の苦しみにあえいでいる。僕はまだ独身だからいいけれど、彼らは家庭に帰れば、奥さんの不平を聞かなければならないし、娘を風呂に入れなければならないし、そういう状況の中で苦しんでいるというのは、あまりに悲惨といえば悲惨だし、そんな目に遭うくらいなら、適当に世の中の流れに流されて、「価値とは何か」などという不毛な探求や、あるいは将来の組織の生き残りを考えた対応策などを考えたりすることなく、俗塵にまみれていく方が楽であると思ったとしても、僕はそのような人たちの態度を責めることはできないと思いますよ。
飯坂 気づいていないから楽なわけであって。
運営者 見えないということは、幸せなんですよ。
じゃあ、価値を追求するって、何なんだろうと思いますよ。苦しいだけじゃないですか。
人が聞いたら、「何なんだこの馬鹿は」と思うでしょうが、「こんなことなら勉強なんかしなければよかったな」とつくづく思うことが多いですよ。ああ、またこれで、サイトの読者が減るなあ……。
つまり、あまり物事を知らなければ、何事も低いレベルでも満足することができるからなんです。何でもそうだけど、一流を知るとか、価値とは何かということを知るとか、それは生き方でもそうなんだけど、分不相応に知るのは悲しいなという気がします。そんなにものの値打ちを知らなければ、もっとまっとうに、というか平々凡々と生きられる気がするんです。
飯坂 ドラクエでもファイナルファンタジーでもやっていれば、それで満足できるということですよね。
運営者 モー娘とか小室哲哉とかを聞いて、単純にアムロの曲で「沖縄サミットよかったよかった」と政府の思う壺にはまると。
飯坂 一つ一つのシンボルにまつわる意味とか歴史とかの関係性を気にすることもなく、エンタテインメントをエンタテイメントとして楽しめるということですな。
運営者 つまるところ、パンとサーカスを楽しむことができる人種であるということです。そういうレベルになれるかどうか。でもそうなれない自分が哀しい。それって、しんどいことなんです。
飯坂 でもさあ、われわれが知っているレベルの教養って欧米では高校生レベルのことだと思うんです。
でもまあ、知ってしまった以上、それはしょうがないですね。
運営者 気がついてしまった以上、そうやって孤独な闘いを続けていく以外にはないんでしょうね。えらいしんどいことですよ。なんか、自分でも伺い知ることができない大きなものにコントロールされているような気がしますね。
でも僕はそれをやり続けると思いますが。この後そういう本を書き続けることになると思いますし。それがせいぜい1万部ぐらいしか売れなくて、一年に2冊しか書くことができないと。そうすると、年間の収入が300万円。それじゃ生活保護のレベルですよ(笑)。