今や「新たな理念」を用意する時
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 それでは、われわれはなぜ哲学を失ったかについて話したいと思います。
いいか悪いかは別にして、戦前は天皇を一神教のように祭り上げて、それに従って、すべての社会システムも倫理観も作っていました。にもかかわらず、戦争が終わった後、GHQがあたかもロボトミー手術をするかのように、旧日本の世の中をつくった要の部分をすっかり切除してしまったわけです。それ以降、日本は迷走を始めてしまった。
運営者 「諸君!」とか「正論」はその部分を回復しようという努力ですね。
飯坂 それは、半分ノスタルジーですが。森首相の「神の国」失言というのも、半分はそういったノスタルジーであり、半分は「それを回復しなければならない」という突き動かされるものがあるのだと思います。
運営者 食言については、加藤典洋さんの『日本の無思想』という本に書いてあるけど、実は食言して辞めていく大臣は、「自分は悪くなくて、これが本当は正しいんだと思っているんだけど、みんなに迷惑をかけたから辞めるだけだ。でも実は俺は戦前の思想は正しかったと思っているんだ」ということなんです。
「われわれはやはり戦前の精神にのっとった社会の営みをやっているんだ」という、純粋な純正品の旧日本国人の発想なわけです。森さんも「首相になったからこそ、自分はそれを回復し、その思想がある部分否定されている以上、日本人の精神的支柱も私がある程度引き受けなければならないぞ」と勘違いをしているのかもしれませんね。
飯坂 彼の思想において「首相」という地位を負託されたわけではないんですけど。
まあ、彼の中では一貫しているのでしょうね。
運営者 リーダーは、そのような父性を体現していなければならないものではあるのですが……。
で、日本のよって立つべきところの哲学というのは、戦前にあったものにもたれかかっている自民党と、それを削りとったところに寄りかかっている社民党、独立愚連隊の共産党と公明党があるということです。
飯坂 近代天皇制自体もまったく人工的なものですからね。天皇を引き出してきて、それを新しい日本の統合の象徴にしようというのはすごい発想だったと思いますよ。水戸学派からの流れがあってそういうことになったんだと思うけど、その思想自体、革命の新しい形として世界史的に珍しいと思います。
運営者 革命というのは、ポッとできるものではなくて、時間がかかるみたいですね。ロシア革命だって、100年以上も革命運動が続けられてきたわけです。共産党宣言が書かれる前から動きはあったわけで、ことほど左様に新しい社会をつくる理念が出てくるまでには時間がかかるいうことなんです。
旧日本国は、一次要求を満たすという方向に導かれて、ロボトミー手術の後も統制官僚が作った制度に則って現行の社会システムを作り上げてきたわけで、それはまさに今日の首相が旧システムによりかかっていることを靖国参拝という形で示しています。
しかし今や、50年以上前に既に切除された理念に代わる、新たな理念を用意しなければならない。
飯坂 靖国参拝自体は悪くないと思うんですよ。米国大統領がアーリントンに詣でたからといって反戦団体から文句が来たなんて話はありませんよね。
これはわれわれが主張するべきことではないとは思いますが、日本が戦争をアジアでやったことによって、アジアが植民地支配から解放されるきっかけとなったということは事実だし。
朝日新聞が毎年飽きもせずに靖国参拝閣僚をたたきたがるけど、それが年中行事になってしまったのが、一番良くないと思いますよ。