果たしてドラクエは世界に通用する価値なのか
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 まあ、われわれの先祖がやったことは尊敬するべきことですよ。まったく大変なことです。それはある種の責任看取というか、社会に自分が究極的に参加するということを彼らはやったわけだし。
でも、その前提としては、人の心はどうにでもインプリンティング(刷り込み)できるということがあるんです。戦時中の日本人のメンタリティは、国家的にそのような刷り込みをやった結果であるということはこれまた間違いではありません。だけど、そのような極端な社会参加をし、世界の一等国に伍していきたいという、そういう国家意識とか目標を実際に実現したのは、社会的には非常に意味があることだと思う。その結果が悪かったといって、社会システムを作るとか、世の中を利する思想をみんなで作っていく努力を放棄してしまうというのはいかがなものかと思うのですが。
飯坂 そうした戦前の理念が残っていて、「進め一億火の玉だ」で高度成長を成し遂げたわけですよね。
運営者 一応戦争が終わって「捨てた」と言いながらそのような成功が各人の中に残っていたわけですから。
飯坂 でも今はもう無理だね。
運営者 日教組が刷り込みをやめてしまいましたから。この前辞めた三菱自動車の社長が、「信頼回復を全社火の玉となって……」と会見で言ってましたが、そういうところだけ残っている。実に「組織の三菱」らしい(笑)。
でもそのようにして社会的な紐帯を一切なくしてしまって、その先に何があるんだろうと思うんですけど。
飯坂 紐帯が切れたのは、刷り込みを止めた第一世代である団塊世代ではなくて、その第2世代に現れてきたというのが非常に象徴的なことだと思います。戦後に学校教育を受けた世代はすべからく、学校ではそのような皇国教育を受けていないわけですが、親の世代からはちゃんと、旧日本国型の教育を受けているわけです。だから、親から教え込まれて社会的紐帯は残っていたのです。ゲバ棒だって社会参加なんだし。ところがその子供の世代は、本当に刷り込まれていない世代になってしまった。
運営者 まずそれからわかることは、親には教育の責任があるということですね。
コンビニの前でしゃがんででたばこを吸っているガキとか、毎日が面白くないからといって浮浪者を殴り殺す奴とか、彼らについて僕が思うのは、彼らは残念なことに芸術作品を理解する能力はないだろうなということです。つまり文化がない。だから理解できないはずです。
そもそも近松の世界では義理と人情があって、自分の血肉を分けた子供や恋人と、社会の間に挟まって、さいなまれる人間を描いているわけですが、社会性があるからそれが成り立つわけであって、社会性がなければ近松は成り立たない。漱石の描いた「近代人の自意識の悲劇」って、明治文学がスタートしていきなりあれだけ高度なテーマが成り立っていたというのは驚異的なことだと思うんです。ところが、あのバカどもには自我もへったくれもないわけです。そうすると何が起こるかというと、今まで日本人が築き上げてきた文化芸術、それはある価値を持っているものなのですが、それらが徐々にへたれていくということを意味するんだろうなと。
飯坂 ドラクエのレベルになっていくでしょうね。そういうレベルになってしまったんだからしょうがないよね。
運営者 ドラクエやったことがないから、何が書いてあるのか知りませんけれど、「果たしてドラクエは世界に通用する価値なのか」ということです。
飯坂 たかがゲームなのだからカタいこというなよって言う人も多いでしょうが、ロードショー映画に匹敵するような資金と人員とをつぎこんで作るわけだから、シャレとかノリとか内輪受けに終始するのではあまりに空しいと思います。借用するヨーロッパ文化の文物について最小限の整合性をとるとか、パロディにするにも本歌取りを少しは感じさせるとか。
よくも悪くもゲームには日本文化の特質がよく現れています。ミサイルに搭載できるようなチップをもった機械が一台数万円で作れて、それが何百万台も売れる。軍事技術に源をもたない民生用機器でこれだけの技術革新が短期間に起こったというのは、世界史的に見てもすごいことだと思います。一方でそのためのソフトウェアはというと、グラフィック技術は本当に進歩していると思います。でも中身はたいしたことない。
芸術性とか精神性についてはエンターテインメントであるから仕方がないとも思う。しかし、古今東西の文物や伝説などのシンボルをごった煮にして平気であるというのは何とかしてほしい。クリエイターの側にもユーザーの側にも違和感を感じる人はいない。もちろん、それ相応の勉強や資料集めはしているんだろうけど、どうにもセンスがずれてしまう。それが日本の(数少ない輸出できる)文化の現実だと思います。
日本のことを、フジヤマ、ゲイシャ、チョンマゲのイメージで描かれたらいい気持ちはしないでしょう。ポケモンやドラクエやファイナルファンタジーが海外で人気が出るのはうれしいけれども、日本人はこれだけモノを知らないんだということを宣伝していることにもなりかねません。それを「日本が問う世界に通用する価値」と言っちゃうんですか?
エラそうな言い方をしてしまったなと思うけれど、僕自身彼我の格差に途方に暮れているというのが正直なところです。古来の文化基盤は枯渇した、さりとて世界の共通文化の素養は乏しい、では到底かないっこありません。