地位を望む奴に限って、ろくな仕事はしない
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 木村さんの本の中に、ある自民党の幹部が「あの金融危機の状況であれば、民主党は政権をとることができた、金融再生法という正しい法律の成立を取ることによって、民主党は政権を取ることを捨てたんだ」と言うくだりがあります。でも、政権に就かなければ結局は何も始まらないということがまだ民主党には分かっていないという意味なんですな。
運営者 そういう奴を僕は軽蔑します。
飯坂 まさに旧日本そのものなわけでしょう。
運営者 そう。「人を動かすには、上から指図しなければならない」と考えるタイプの人たちです。そうではなくて、ムリヤリでなくてもルールや価値に基づいて人は動くし、動かなければならないはずなんです。
僕は、何度も言いますが、理念が世界をつくると信じているんです。
飯坂 ところが、旧日本国の理念では、いまだに「地位を得ることこそ重要だ」と教えているわけです。
運営者 でも本当は地位をとっても意味はないんですよ。沈みかけているタイタニック号の船長になって何が嬉しいんだと、むかし僕はよく言ってましたけどね。不思議だよなぁ、みんな氷山にぶつかった後のタイタニックの船長になりたがるんだよなぁ。まあ見えないんでしょうね。それでいいと思っているということは。でも、それは「雪印の社長になりたい」と言っているのと同じですよ。
飯坂 雪印の社長でもみんななりたいでしょう。
運営者 なりたくないですよ、格好悪い。そのへんの感覚がちょっとこう……。
僕の話ばかりしてまずいと思うけど、僕は、ヒラのままで会社を辞めたことに対してすごい誇りを持っているわけです。ヒラ以上の仕事をしていたという自負があるから。かえって中途半端なタイトルなんか欲しくない。肩書きで仕事をするわけではないのですから。ところが地位を望む奴に限って、ろくな仕事はしない。地位に恋々として、自分を売って人事権者に借りをつくる。人事権者がそうした借りを束ねて、組織で実権を振るうというのが組織内政治の基礎になります。こうしたバイアスを排除しなければ、とても組織のパフォーマンスは向上しません。
昔は、やっぱり高い地位には偉い人がついていたのかな。だから「地位が高い人は尊敬されるだろう」ということで、自分の存在証明になるから皆がそれを望むのでしょうか。村長さんとか、郵便局長さんとか。その地位自体が、その人の見識とか家柄をあらわしていたのでしょうか。
飯坂 まだ絶対的な格差があった時代でしょうからね。社会階層自体がかなり分化していたということです。
運営者 華族がいた時代ですから。偉い奴は、世の中における自分の責任を自覚していたし、下の人間には盲目的でありながらもフォロワーシップがあった。それらが、平等社会になって上下の階層がお互いにもたれ合うようになってしまったんですね。
やっぱり平等社会というのは、熱量死の世界なのかなあ。価値は、差異からしか生まれないんだなあ。ここにまた、一つの真理がある……。