しょせんは勉強しなさすぎ
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 改革者が支持されない第一の理由というのは、「私利私欲のために改革しようと言っているに違いない」という猜疑ですよ。周囲に理解能力がなければ、あるいは下司根性の人には、どんなに全員の利益のために行動したとしても、誤解されて終わりです。如何ともしがたいですよ。すべからくそうなんです。それの積み重ね。
あるいは、認識力のある上司には、私は「神の目を持つ男」と呼ばれてましたよ。どういうことかというと、突き抜けて客観的に、あるいは公益的な視点から物事を判断するために、「彼の判断は極端で、みんなに受け入れられることはないから」と棚上げされてしまうんです。全員の意見を収束させることが重要という考え方の人の場合は、そうした理由で私の改革提案の中身を十分理解しても、採用を見送るわけです。これもまた哀し。
編集長が替わったんで、イギリスに逃げたことだってそうですよ。あの編集内容の雑誌に、僕は自分の抱えている筆者の先生たちに「ご登場いただきたい」とは言えなかったですね。「悪いけれども、ぼくはこれでは仕事はできません」と、良心と誇りにかけて言うしかない。
まあ、一応フォローしておきますと、この当時の編集幹部は現在の「プレジデント」からは放逐されました。今の「プレジデント」は、私が絶望した体制からは脱却していますんで。
それにしても、出版社と先生が付き合っているわけではないんです。編集者と先生が繋っているわけであって、もしその担当者が外れてもその雑誌と先生との関係がなんの変化もなく続くということであるならば、それは本当のおつき合いではないし、その関係性から本質的にいい仕事ができてくるとは思えません。仕事って、本気でやろうと思っていたら、もっとキツイもんですよ。であるがゆえに、編集者のほうが仕事できないような雑誌だったらば、とてもじゃないけどご登場をお願いできないわけです。このあたりのマージナルな部分が理解できないと、良い編集者ではないですよ。プロフェッショナルではない。
やっぱり、その辺あまりにも勉強しなさすぎとしか言いようがありませんわ。真摯によい仕事を追い求めようという姿勢が欠けている。ほんのちょっと角度を変えてみるだけで、全然違う仕事ができあがるんですよ。偉そうなことを言うつもりなんか全然なくて、ただそれだけのことなのに、それをやろうとしないんですよね。どのように角度を変えることができるかを知るためには、やはり勉強が必要なのですが、これもわからない人には、永久にわからないことなんです。
飯坂 それは、全てに言えること。しょせんは勉強しなさすぎなんです。
運営者 でも、勉強してない奴の方が威張ってるんだもん。徒党を組んで、あたかも努力している奴を排斥するような動きに出る。こういうダウンワードの団結だけは、みんな得意なんですよね。
何で勉強せずに生きていけると思っているのか、そこのところが僕にはわからない。
飯坂 勉強せずになぜ平気でいられるんでしょう。自分がモノを知らないということは、ちょっと他の世界の人たちと接して見ればわかることではないですか。
運営者 不勉強な人の一つの回避手段は、他の世界の人との接触を徹底して避けること。もう一つは、「へええ、やっぱりあの人はよく勉強しているなあ」と、外部の人と接触してもひたすら感心するばかりで、自分が不勉強であるということは別の次元のこととして処理できるふてぶてしさ、ある種の職務放棄を前提として生きていくというやり方があるんです。