「寡頭政」という政体の選択
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 ということは、シンガポール型の社会体制を選ぶということですか。
運営者 その核心は、エリート主義だということです。民主体制というよりは。結局日本が戦後、旧日本国からの移行のための概念としてか、あるいは旧日本国の理念であった論語から八紘一宇の精神までを削りとった後に注入するためのものとしてか、いずれかは知らねども、戦後日本人が導入し急速に広まった概念として「民主主義」とか「平等主義」というものがありますわな。
飯坂 あと物質主義。
運営者 そうですね。それで民主主義であるということは、多数決の原理、すなわち「一番多くの人たちがいいと言ったことがいいことなんだ」という考え方。それを団塊以降の人は盲信しているわけです。染みついてしまっている。「物事の大本のことは、みんなで決める」わけであり、それが正しいんだということです。
でもね、実はこれ、悪平等がはびこって、民主主義が限界にきてるのではないかとも思うわけです。
ここまで優柔不断で勉強もしない国民だったら、投票行動によって自己革新するのは不可能かもしれない。本当に変えなければならなくなったら、実際はエリート主義の方に変えたほうがみんなの利益になるのでは。判断できる能力と知恵を持った人間に決断を委ねる必要があるのかもしれません。民主主義に代わるものとしては、寡頭政という名のエリート主義が考えられるわけです。
これを官僚国家としてやってるのがシンガポールですよ。シンガポールにも国会はありますが、数年前までは全員が与党で、大政翼賛機関でしかなかった。野党議員が当選したときにはニュースとして報道されたくらいですから。ベネチア共和国にも議会はあって、ドゥカーレ宮のでっかい部屋でやってましたが、実質上は十人委員会という17人ほどの合議体が国家の重要な決定を下していましたし、ローマであれば元老院議員300人(スッラが600人、カエサルが元老院を弱体化させるために900人に増員……つまり数を増やせば議論がまとまらなくなるので、弱体になるわけです)の寡頭政であった。国家の危機に対処する際には、期限付きで独裁官を任命して全権を与えていたわけですが。それでもカエサルは、元老院では議論が紛糾して国政を支えるに足りなくなったと判断したので独裁制を敷くに至ったわけです。
飯坂 それがね、優秀な人間がその立場についてくれればいいのですが。日本の企業だって寡頭政に近い体制をとっているわけですから。
運営者 では、民主主義であればチェックが効くのかというと、そういうわけでもありませんし。日本人のような議論下手の人間が、難局に直面して結局考えをまとめたり、意見を集約するためには、寡頭政のほうが機能するかもしれないと、塩野さんの影響を受けてここ2年くらいの間に考え修正しつつあるのですが。
飯坂 それは確かに魅力的な考え方ではありますが……。