インテリには何が期待されているのか
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 一番日本で弱いのはインテリ層じゃないかと思いますよ。
運営者 それは面白い。「インテレクチャルズ(知識層)の役割とは何か」ということを考えたいですね。
まあ、このホームページにおつき合いいただいている方々は、この国の文化的レベルであれば、インテリ層に区分して差しつかえがないと思いますよ。なんせ読者に媚びないから、この程度のアクセス数しか稼げないサイトなんですからね。ものの値打ちのわかっている人じゃないと、こんなサイトをわざわざ見に来ませんよ。
で、インテリというのは何をする人たちなのか。それ以前に、この国ではインテリ層という存在が期待されていないということがあるのではないでしょうか。期待されてないし、また彼らがアウトプットするものを受容する姿勢が一般の人々にない。
飯坂 じゃ、一般の人は何を受容したいわけですか。
運営者 モー娘。これはどういうことかというと、さっきまさに飯坂さんがおっしゃったように、アメリカが教えてくれた消費文化。文化の消費というのは、昭和30年代に衣食住の最低限度を満たしつつ、「プラスαは……」ということでチョボチョボ始まったわけです。
ところが現在では、大衆文化の供給は需要を追い越したところまで来ているのではないでしょうか。
まず公共事業というのは、現在の消費回復のためにドブに金を捨てて、それを将来の負担に先送りしているということです。インフレ・タックスによる資産食いつぶしも辞さない覚悟ですからね。
飯坂 公共事業はもともと復興事業だったから、復興が終わってもそれを続けるというのはガン細胞以外の何物でもないですよ。
運営者 じゃあ、われわれは何を食べているのかという問題を考えると、実はわれわれ自身の手足を食べているわけです。貯金しているつもりの自分の資産も知らないうちに自分の腹の中です。それが現状に現れてなくて、ひたすら先延ばしにしている。
飯坂 でも僕たちだって年金払い込んでますよ。
運営者 年金は、将来の自分たちがそのまま受け取るために払っているわけではなくて、現在受給されている世代への支払いのためですからね。賦課方式ですから。
飯坂 それは果たして年金という概念に当てはまるのだろうか。
運営者 年金でないと考えるのが妥当だと思います。
ま、それはちょっと置いておいて、もう一つ自分たちの手足を食べていることが、あると思うんです。いま売れているモノは何かというと、携帯電話、プレステ、64、要するにあのコンビニの前にしゃがんでいるバカどもからカネをふんだくるという商品です。まぁ親が払っているというケースもあるし、本人が身体を売って払っているというお姐ちゃんもいる。要は、生産者の世代の消費を期待せず、将来社会を支えるはずのガキをスポイルすることによって収益を上げていて、そうした企業が賞賛を浴びている。
だから、日本でメディアが流している情報というのは、せいぜいそのバカどもが受容できるレベルのものでしかない。
飯坂 大衆文化というのはそもそもそのレベルでいいんですよ。
運営者 そう。渋谷に茶髪、ガングロが現れたときに、「こんなバカが大量生産されては、日本は勃興するアジア諸国に負けてしまうぞ」と思ったのですが、そんなことはなくて、この前上海で発行しているというストリートマガジンを見せてもらったら、中国でも茶髪、ガングロが、パラパラを踊っているわけです。広告は日本企業ばかり。「なるほど、大衆文化をどんどん輸出して、外国の青少年もスポイルしてしまえばいいのだな」と変に納得しました(笑)。
そういう手を打っておいて、それから日本のインテリには何が期待されているのかというところに話が戻るわけです。