インテリは、社会の文化的な核心を規定せよ
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 インテリが現在の経済活動に寄与しなければならないということはないですよね。
運営者 そうですよ。だから、モー娘を喜んでいる世代はそれはそれでいいとしておいて、インテリは社会の中で果たすべき機能があるはずなんですよ。しかしそこの整合性を満たすためには、インテリの役割が社会システムの中にきちんと組み込まれていなければならないのではないでしょうか。
飯坂 モー娘があれだけブレイクしたのは、「LOVEマシーン」という曲だったのですが、あの歌詞を見てみると、「日本の未来は 世界がうらやむ」というのがウケたんだろうと思うけど、もうひとつ、「みんなも、社長さんも」というフレーズがあって、最初から広い年代の客層を見込んだ戦略を立てていたのではないか。
運営者 ユーフォリアですよ。大衆は浮かれててもいいのでしょう。でもインテリはインテリで、果たすべき役割があるはずです。
飯坂 そうすると、日本にはインテリはいないということになっちゃう。
運営者 やばいですよ。公共事業によるツケの先送りをやっているということと、若い世代からの収奪による消費回復。
しかも、彼らから大衆文化以外のものの受容能力を奪っていって、おそらく人間が昔からつくってきた文化的な遺産を受け入れることができる人数がだんだん減ってくるので、岩波書店の本もだんだん売れなくなっていくと思うんです。ほとんどのガキどもは、今まで人類が築き上げてきた豊かな価値に、アクセスすることができないのではないでしょうか。彼らがその価値を知るまでには、人生の幾山河を経て老いぼれるまで待たなければならないということでは、日本人しか伝承することのできないわが国の文化資産自体がだんだんないがしろにされて行ってしまうんでしょうね。そうすると、この先は文化がすたれていく。
「そんなことはない大衆文化がある」というのであれば、大衆文化に10年残るものがあるのかということを考えると、どうでしょう。大衆文化の目的はすごく浅くて、基本的に何百万人かの人間が消費すれば、それで供給側が満足するから、そのレベル以上のものは求められないわけです。
飯坂 大衆文化の特質は、持続時間が短いところにありますね。1年持たないですから。
運営者 店の棚にはね。「団子3兄弟」が、もう見つからないんじゃないですか。逆にクラシックの良いところは、ベートーベンは20年経っても30年経っても、相変わらず演奏会にかかっているということです。
もちろん大衆文化にはちゃんとした機能も必要性もあるんですよ。パンとサーカスだから。だけど、社会を担うべきエリートが、そっちの側に絡めとられてしまっていては、本末転倒だろうと 。
それでね、僕は、新日本人の文化というのは、まさにこれからつくっていかなければならないものだと思うんです。で、インテリの役割というのは新日本人が持つべき文化を規定するというところにある。
どういう形かというと、文化として伝えるべきものというのは幾つかあると思うんです。例えば、ハリウッド映画というのは何を伝えているのかというと、精神的なベースというのは、家族愛と、合衆国憲法かもしれない。そういう芯になるコアの部分が日本では完全に崩壊して、大衆文化しか残らないということであれば、それに基づいた日本映画は強度のあるメッセージを持った作品にはならないですよね。現状そうなっていると思いますが。そう感じていたから、僕は就職する時にゴジラとどらえもんで食べている某映画会社を捨てて雑誌屋を選んだのかな……。
社会が存続するためには、文化的な核心がないということは考えられないと思うんです。そのコアに表現がくっついてきて、文化が形成されるのではないでしょうか。もしね、今後新日本国が新たに樹立されるのならば、そこには文化のコアがなければならない。そこにくっついて、映画とか音楽とか、あるいはゲームとかができる。新日本人の生き方をゲームで子供に教育することができるようになるはずなんです。