新日本人の立場からの「文芸復興」が必要だ
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 社会が存続するためには、文化的な核心がないということは考えられないと思うんです。そのコアに表現がくっついてきて、文化が形成されるのではないでしょうか。もしね、今後新日本国が新たに樹立されるのならば、そこには文化のコアがなければならない。そこにくっついて、映画とか音楽とか、あるいはゲームとかができる。新日本人の生き方をゲームで子供に教育することができるようになるはずです。
飯坂 表現者がそれだけ大衆文化に迎合しなければならないのであれば、かつ文化的なレベルが高いものがのニーズが少ないのであれば、ビジネスとしては、大衆文化レベル以上のものは成り立たなくなるのではないでしょうか。
運営者 でもね、単純に人を撃ち殺すというゲームがありますが、そうでなくて悪者を殺し、かついいものを助けてよい社会をつくっていくという内容を織り込むことだってできるわけじゃないですか。
飯坂 あるいは悪者を殺した後、その死体を片付けなきゃ点数がもらえないとか。そういうのを入れるだけで、ゲームに触発された殺人が減るんじゃないですかね。
運営者 ゲームとか音楽とかは表現の手段であって、そうやって現実社会の中のルールを伝えることができる媒体だと思います。われわれがやらなければならないのは、「じゃあ伝えるべきものは何なのか」ということをちゃんと先につくっておくということなんです。
ドラクエやファイナルファンタジーは、設定はヨーロッパに置かれていて外国の文化を換骨奪胎した内容になっていると思いますが、でももしそのゲームの中で伝えられているメッセージがある種、社会をつくるための普遍的な理念であった場合には、それは世界に通用するクオリティーのものとして認知されるでしょう。そうするとこれは立派な産業になりますね。
インテリが取り組まなければならないのは、まず先に新日本人の生きる目的とか、生き方とか、生活のスタイルとか、社会参加の方法とか、働き方とか、社会規範とか、そういうものを規定することなんです。
飯坂 普通に勉強して、真面目に仕事をしていれば達成できるものだと思いますよ、そんなに難しく言わなくても。
運営者 インテリはそれでいいんですよ。でも、普通の人は差し示さないと分からないというのが実際のところだと思います。無理なんですよ。それは。
かなりの高等教育を受けているにもかかわらず、また社会経験もある程度積んでいるにもかかわらず、あまりにも幼い社会認識しか持っていない人、あるいは自分の仕事や人生に対する洞察が幼すぎる人のケースを見ると、「これでは本当にヤバイな」と感じますよ。
「お風呂入れよう。歯磨けよう」。ドリフターズのレベルで言わないと伝わらないんです。動く方向はどちらかということを差し示すのがインテリの役割でしょう。それは、さっき申し上げた寡頭制とかエリート主義に近い発想なのかもしれませんが、それをやらなければ、日本は絶対に変わらないですよ。
「変わらなくていい」というのであればそれをやる必要はないし、インテリも必要ないし、文化が崩壊しても全く構わないわけです。もし「進路を変えなければならないような方向に世の中が進んでいる」という認識を持つならば、精神的・文化的にわれわれが本来どうあるべきかという方向についての考察を行い、それを社会システムにまで落とし込んで、社会の機能回復を行うための道筋をつける役割を果たす人々が必要なはずです。それを担うのはインテリ以外にだれがいるでしょうか。
そして、現在大きな賭けに出ている加藤紘一に決定的に欠けているのは、この部分を明示知化する能力です。そこのアジェンダ・セッティングができない限り、国民は彼の造反を「権力闘争」に矮小化して受け取ってしまう。また、造反議員たちも精神的に支えるものがないから、切り崩されてしまうでしょう。理念が未成熟なんです。寄るべき理念ができあがるタイミングを待てなかったのはわかりますが、リーダーとしてそれを作る努力を十分やっていたとも思えないですよね。
以前話した新日本国の「この国のかたち」を再定義するのは、浅薄な大衆文化のクリエイターの仕事では決してないはずです。
「この国のかたち」を再度論じようとするのであれば、私は新日本人の立場からの、ある種の文芸復興を行う必要すらあるのではないかと思っています。