人の意識が変わらなきゃ、世の中も変わらない
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 ついさっきのことなんですが、飯坂さんの車をうちの前の道に止めていたら、ドライバー側の窓を 叩き割った不届き者がいるんですよね。治安が悪くてすみません。しかし、これは一体何なのか。
飯坂 示威行為でもなくて、単に粗暴なだけですよね。最近、電車の中でのトラブルがニュースになることが多いですが、わけのわからないままにキレないとバカにされると思っている若者が多くなっているのではないですか。規則を守っておとなしくしていても、警察も学校の先生も誰も助けてくれない。キレれば周りが怖がってないがしろにされなくなる、と。
運営者 人間何が怖いかというと、一番怖いのは「自分を否定されること」なんです。普通であればアイデンティティーを保つための方法は、人とコミュニケーションすることなわけです。ところがコミュニケーション能力がないので、いきなり相手を否定するところから入ってしまうというのが最近のパターンなんです。
これじゃ社会は成り立たないんですよ。
飯坂 だから社会が成り立ってないじゃないですか。日本人が永年社会性の規範として尊重してきたものは、タテマエもホンネも絶滅の危機にあります。
運営者 でもね、交換というのは社会性がなければできませんから、社会が成り立たなければ人間は生きていけないんです。われわれが1日中パソコンの前に座っていて飯が食えるのはなぜか、それは社会が成り立っているからなんです。
飯坂 それがなかった日には、畑を耕さなきゃいけないし、海に魚を獲りにいかなきゃならないし。
運営者 栄養のバランスを考えればね。海彦山彦を両方やらなきゃいけない。
飯坂 それをやらなくて済んでいるのは貨幣があるからです。
運営者 貨幣経済が成り立つのは信用があるからであって、信用は社会性に基づいていると。
飯坂 貨幣という単なるモノで、基本的に何でも買えるわけですから。しかし、「愛はお金では買えない」と言ってしまったら、それを否定することになってしまうわけです。だから「値段は違うにしても、すべてのものはお金に変える(=単一のメジャーで測る)ことができる」という原理から資本主義社会は始まっているのです。
もちろん「愛はお金では買えない」でしょうから、貨幣経済は不完全なのですが、お金自体は汚いものでもなんでもありません。日本人の意識として、拝金主義のくせに、お金で決着がつくことを潔しとしない点があると思います。
憲法制定以来百余年、未だに「法治」されることに対して違和感があるんですかね。人間関係に基づく「和」によって「人治」されることのほうが、コンフォタブルなんでしょうね。
その一方で、「XXウェイ」等のネットワークビジネスのように、既存の人間関係をお金に換えるビジネスは盛んです。大手生命保険会社でも紹介者にインセンティブを与えるマーケティングをやっています。一方では「家庭XXのトXX」のように従来は人間関係を媒介にしていたものに介在して市場を支配し、中間マージンを稼ぐというようなビジネスも出てきています。言うなれば「人間関係のデリバティブ」ですね。
運営者 非常に面白い。竹中平蔵さんと仕事をしたわけですが、僕は「世の中を変えるためには人の意識を変える必要がある」と主張するのに対して、竹中さんは「いや、意識を変えるだけではダメで、政策と両方変えていかなければならないんですよ」とおっしゃるわけです。
でもね、「なんとか仕事の成績を上げたい」と思って、他人のやっているノウハウだけを盗んでも、本人の意識が変わらなければ全然効果はないんです。よく書店に並んでいるノウハウ本をマネしても無駄なんですよ。いい仕事というのは、自発的に行動しようというふうに自分の意識を変化させなければできないものなんです。
飯坂 つまり、ノウハウ本に書いてあることが本当に理解できる人であるならば、そんなものを読まなくてもいい仕事ができるということなんですよ。ノウハウ本に書いてあることを完全に理解できるとすれば、その人は素晴らしい能力を持った人です。ノウハウ本の中には内容の薄いものの方が多いですが、それとて全くのフィクションでは書けないわけです。「この程度のことを書いているやつが、これだけの仕事をやっているのなら、こうすればもっとうまくできるはずだ」などと考えることができれば、非常に有効だと思います。
運営者 ノウハウ本に書いてあることの下を読んでいるということだと思うんですね。
変えなければならないのは意識であるというのが分かるのは、日本の法律に基づいてできている国の制度をちゃんと運用すれば、十分に立派な普通の国として国家は運営できるはずなんです。なぜそれができないのかというと、運用している人間が制度を故意に曲げているからですよ。
不良債権がこのような大きな問題になったのも、商法上は毎年償却することになっているのにそれを溜めてしまったから。パイが大きいので、決められていることを守らなければマイナスが溜まっていくわけで、それをやってはならないという規律を守ることがどうしても社会の運営のためには必要である」という意識がなければならないわけです。ところがお為ごかしに、「これは決められた範囲を出てないだろう」とか、「例外を認めるべきだろう」とか、勝手に決めごとの解釈を変えて自分の恣意を通してきたから、このようなことになってしまったわけです。