いざとなったらやめちゃえばいい
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 義務教育は発展途上国が先進国にキャッチアップするためにやるわけであって、そこでエリートを創り出すような仕組みがあるわけじゃないですからね。戦後はそういうエリート教育をすべてなくしてしまったから、
運営者 日本でアメリカの教育よりもアドバンテージがあるのは、掛け算の九九だけじゃないのかな。
飯坂 だったらインドの方がすごいじゃない。
運営者 2ケタまで暗算できますからね。
それで今の子供たちは、組織に同化するどころか、参加しなければならないとも考えていないんじゃないかと思いますよ。会社に勤めるということも、もう考えなくなるんじゃないのかな。
飯坂 「ちょっと世間体が悪いから会社に勤めようかな」くらいの感じですか。世間体が悪いなんて言葉も死語になっちゃうかもしれないですね。
運営者 僕が取材に行くと、「大変ですねフリーの人は」と言う人がいるんですよ(笑)。何が大変なのかはわからないままに大変にされちゃうんですよ。「ああそうですか、別に僕は会社に勤めているときでも1人でやっているという意識がありましたから、今と全然意識的には変わりませんよ」と言うんですけどね。まあたぶん、どこかの組織に属していることが彼にとっては非常に重要なことなんでしょう。
香川大学の助教授で面白いことを言っている人がいて、将来的には1人の人はいろんな会社から仕事を受注するようになるんではないか、個人個人が。収入で考えると、収入のうちの2割はこの会社から、2割はこの会社からという感じで、未来の働く形態はこのように変化してくるのではないかというんです。それを読んで、「これって僕に近いな」と思ったんですけど。まあ結論はないんですけど。
飯坂 まあまず認識することですよね、「われわれのカイシャは猿山のようなものであり、北朝鮮のような危機にあるかもしれない」ということを。
運営者 あとは、「いったい自分は何に寄りかかっているのか」ということ。
飯坂 「振り返ってみなさい」ということですね。
運営者 官僚や、銀行員、大企業の人間は、根拠のない空白に自分の礎が置かれているわけです。
しかしそれは限界を呈していますよ。いったいどこに自分が従うべき絶対権力があるのか。会社のトップなんてろくなもんじゃないですよ。儲けを出していない経営者には、なんの正当性もないわけですから。ところがなぜか、役員フロアは絨毯がふかふかだし、画を掛けてあるし。そんなもの株主が望んでいるとは思えないですね。
本社に行くときに、地方の営業所の社員は緊張していたりするんですよ。でもそれはまったくばかばかしいことですよね。現状では、自分たちを搾取している本丸に乗り込んだくらいに考えて当然じゃないでしょうか。
飯坂 確かに僕も、アメリカの本社に行くときは緊張しますけど。
運営者 その緊張が、仕事するときに本社との関係を構築しなければならないという関係構築に対する努力からくるのであれば問題はないと思いますよ。
飯坂 じゃなくて、例えば受付のおばちゃんだって、「おまえどこから来たんだ」という対応だし。
運営者 向こうがこちらの生殺与奪の権を握っているんだったら、緊張して当然だと思いますよ。だけど、いざとなったらやめちゃえばいいわけじゃないですか。
でも、日本企業の場合は、勤めている人は、クビにされたら自分の存在を否定されてしまうと思っている。存在どころか、人間性を否定されてしまうと思っているわけです。なぜならば、その会社に勤めているということが、自分自身をつくり上げているからです。だから本社が怖いんです。それは、創価学会であれば大石寺に行くようなもんですよ。最近は行かないのか……。
なんかまたヤバイ系の話になってきたな。今回はこの辺で打ち止め。
(この項終わり)