メディアの倫理と競合が必要
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 だけど、そんな高尚な人がメディアに、どれだけいますか。
運営者 それはあんまりいないんですけどね、だけど一歩一歩つくらなければならないんです。
とりあえずはね、メディアの倫理基準をつくらなければならないんですよ。それは取材に関する倫理基準もあるし、広告に関する基準もあるし、コンテンツの内容に関する倫理基準もあるんですけど、「これに反するものは作らない」というよりは、「われわれはこういうものを志向する」というのがいいと思うんです。
取材活動に関しては、公正なルールを決めるのは当然のことだと思います。そしてそれを何回か検討してバージョンアップしていくうちに、「自分たちが世の中に提供すべき価値は何なのか」という尺度を各社がつくっていく。そしてそれにあてはまるコンテンツを供給するということ、これが知識創造であり、これをやる組織が学習する組織なんです。
そしてこういう方法は何を表しているのかというと、やっぱり「神を否定する」ということなんですよ。最初に与件としての金科玉条があって、けど「それって何かおかしいんじゃない」っていう疑問を持つ人間がいて、いろいろと現状を分析しデータを集め、「ひょっとして、こっちのほうがいいのかもしれない」という仮説を立てて、実際にやってみるとうまくいくことがわかる、そこでその方法を組織全体に広げていく、そういうものをいくつか並行してやっていて、それが連携するとある価値観ができあがってくる。
その価値観のペースになるのは、「自ら作った神を否定して自立して生きていかなければならない」ということなんだと思うんです。
そのような価値を、成り立ちが違う各組織がどんどん作っていって競争することで、競争力のある付加価値の高い商品やサービスや情報が社会に供給されることになのではないでしょうか。
まあ、絵的には美しいですけれど、現実からはかけ離れた話ですわな。
飯坂 アメリカでは、3大ネットワークはあるけれどシェアは低いですよね。ナショナルペーパーもない。だから都会はニューヨークやシカゴやロサンゼルスだけで、それ以外は健全な田舎があるわけです。
運営者 健全ですよ、日本の江戸時代の藩みたいなもんです。州政府は中央政府に対する反抗権すら憲法上認められているわけですから。反抗権は幕藩体制にはないか……。
飯坂 アメリカの世界的な大企業というのは、金融業を除いてはだいたい田舎に位置していますよ。
運営者 知識や文化を創り出す基盤が、一カ所に集中するのでなく分散して競合しているというのがいいですよね。独自の知恵が創り出されそうな感じが。