そもそも「リスク」の存在自体を
認めていないのかも
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 「損得抜きで」という場合は、「長期的に見れば得になるだろうから、ここは泣きましょう」ということであって。
あとね、友達と損得抜きで付き合うという場合は、その友達に精神的に依存しているわけだから、金銭的な面は別にしてつきあうということなんだと思いますよ。その人と付き合うことによって得られているものっていっぱいあると思うんですよ。
飯坂 そうそう、金銭的なものだけが損得の対象ではないからね。過去のいろいろな記憶というのも自分の財産だし。
やっぱりお上は、「損得勘定なんか考えずに、営々と働いて税金を納めろ」ということなんですかね。
運営者 「村の衆は、文句を言わずに働け。どうせいくら働いたって、みんな同じなんだから。裕福になんかなれないんだから」ということですな。「それがお前らが生きる正しい道なんだぞ」というありがたい教えですな。そういう為政者の見地に立った支配的な発想。厚生労働省にしてみれば、年金受給者なんて民草なんでしょうね。
飯坂 こんなことを役人が言うのは、世界中でも先進国では日本だけだと思いますよ。
運営者 よほどその、儒教的な商売や金銭に対する嫌悪感、罪悪感があるんでしょうね。投資に対する考え方の違いも、このへんから出てきてるんでしょう。
飯坂 リスクが嫌いだということもありますよ。リスクヘッジをしないということは、そもそもリスクの存在自体を認めていないのかも。
運営者 「認めていないことは存在しない」ということですな。自分たちが認めないものは存在しないという考え方もすごいですよね。
飯坂 それは人間の基本的な真実ですよね。
運営者 ええ、カエサルは、「人間は自分たちが見たい事実しか見ない」と言っていますね。帳簿にない含み損は存在しないわけだ。
飯坂 不良債権を見積もること自体は悪いことではないわけで、存在を明らかにして、それにどのように対処するかということが重要なんだけど、その不良債権の存在自体を否定して、ないことにしてしまって心の平安を得るっていうことをやっていたわけです。
本来帳簿というのは、将来的なエクスペクティッド・ロスを算定するためにあるわけであって、不良債権が存在することがわかった時点で帳簿に取り込まなければならないわけです。ところが、ロスにどう対処してよいのか判らないから、なかったことにしちゃっているわけですね。