厚生労働省はヤマギシズムにさも似たり
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 「ひょっとしたら怪我をするかもしれないから、任意で保険をかけて加入者の間で負担を分担しよう」という自主的なリスクヘッジの判断はありますよね。
ところが社会保険の場合はそうではない。強制加入。抜けは許さない。「お前らは一生働いて保険料を払うんだ。しかも途中で保険料が上がっても文句を言うな。平等に負担が増えるんだから問題はないだろう」と、こういうことですよ。
したがって損得勘定などというものはけしからん。唾棄すべきものである。
飯坂 日本の美風にそぐわないわけですな。
うーん、困ったもんだな。
運営者 恥ずかしくないんですかね。
飯坂 マーケットというのは、個々人の損得勘定に基づいて取引されているから形成されるものなんですけどね。「損得勘定抜きで株を買え」と言いたいんでしょうかね。
運営者 そんなんだったら、市場を閉めた方がいいですよね。全部相対取引にすればよい。
だいたいお上は、株式市場自体もよく思ってないじゃないですか。
飯坂 コントロールできないものは許すなと。
運営者 40年体制の時は、日本政府は株式をすべて国有化しようとしましたからね。株式国有化政策というのがあったんですよ。経営は民間であるが、所有は国家である。当時は国家総動員令ですから、お上が決める計画の通り生産するしかなくて、経営も何もあったもんじゃないんですけどね。
そうやって民間企業を計画経済の中に組み込もうとしたんです。ま、そういう産業統制の感覚が、いまだに色濃く残っているみたいですね。
クレイジーですね。
そういう発想って何なんでしょう。やっぱり、天皇制の前に対する平等ですかね。「汝臣民」なわけですな。
臣民が天皇の前に平等に負担をするのは当然なんですよ。
損得勘定を超えることはできるのは、神なんでしょう。
飯坂 答が出ましたね。
運営者 そんなに単純化していいのかなと思わないでもないけれど、だって、ヤマギシズムだってそうでしょう。あそこに入るときは、自分の持っている財産をすべて供出しなければならないわけですよね。それをもって初めて平等になれるわけで、みんな喜んで平等を享受しているわけです。絶対者の前に平等であるということは、私有財産の概念も超えるわけです。そして平等であるということが信者の魂の平安のためには非常に重要になるんです。
ヤマギシズムと同じことを、厚生労働省は全国民に求めていると考えればいいんじゃないですかね。