「新日本人論」に寄りかかるな
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 そういう空疎な議論のための議論をしても仕方がないと思うんですよね。
面白いのは、『空気の研究』の後で書かれた『ある異常体験者の偏見』という本の中で、山本七平自身が、「文芸春秋」を舞台としたそういう議論の応酬をしていて、山本七平が発見した日本人の意識構造の枠組みをまったく理解していない毎日新聞の論説委員からの浅はかな攻撃に対して、山本も相手と同じレベルでの揚げ足取りをやっていることです。
山本は、自分の議論が彼らより高次にあるという位置づけがきちんとできていなかったのではないでしょうか。
もし旧日本人たちが、非常に内向的な彼らの思考の枠組みの中だけで、表面的に言葉尻だけをとらえて、新日本人的な生き方を攻撃しているのであるならば、彼にまともに相手しても意味はないと思うんですよ。
私が『「新日本人」革命』で示した新日本人の意識構造というのは、旧日本人にはおそらくまったく理解できないでしょう。だからそこで交わされるいかなる議論も、不毛なものにならざるを得ないと思いますよ。
あくまでも自分を対象から相対化して物事を考えることができなければならない。これすなわち「客観」です。客観は何かに依存していては獲得できないんです。もっとも高い場所から周りを見たときに、できるものなんだと思いますよ。
それから倫理というのも、最も高いところに自らを置くこと、つまり最高の公益性からしか生まれてこないものだと思いますけどね。
飯坂 でもね、旧日本人的な内向性のある人だと、反発するか、その反対に「新日本人論」にも寄りかかってくることが考えられますよね。
運営者 新日本人にとってみれば、それを如何にして排除していくかが必要でしょうね。「自立性」には、あくまでも自分を客観視し、相対化するということが含まれているはずです。
飯坂 新日本人論に寄りかかった時点で、「自立」から外れているわけだからね。
運営者 そうです。常に健全な批判精神が必要なんです。
「そうか、オレも新日本人になればいいんだ。新日本人のバッチとかワッペンでも誰か作ってくれないかなあ」、なんて思う人は最悪なわけです。