「お前ら、わかってるんだろうな」
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 こういうわけなので旧日本人は、結局自分の属する組織の内側に向かって力を振るうしかないわけです。外部の世界と交渉するには、共通のルールを認識する能力や、ねばり強い自制心、相手の弱みを読み取る力、うまく自分を表現する能力が必要なのですが、旧日本人にはそれがない。
他人に対してこの様な働きかけしかできないのであれば、効果的に人を動かして、自分の持たない資源やノウハウを提供してもらう、その逆にこちらから相手の持たないものを提供し、お互いがメリットを得るというパートナシップを作れません。
そもそも、日本社会ではそうした必要はなかったわけです。自分が所属するピラミッド組織の中では、必要があれば自分より下位にあるものに命令をするだけで、必要なすべての資源が手に入るという状況にあったからです。
組織の内部に対してであれば、「お前ら、わかってるんだろうな」だけで全て通じます。したがって外部と積極的に交流を図る必要はありませんでした。また「お前ら、わかってるんだろうな」を受け入れる外部の人間とだけ関係しておけば、相手を支配することができます。逆にどうしても利益が欲しい場合は、「ひざを屈して相手に従属すればいい」と考えている。相手が「お前ら、わかってるんだろうな」といってくるから、「もちろんわかっていますよ、親分」と言えばいいわけです。
旧日本型社会システムは、こうした関係性の原則に従って組み立てられていた社会システムなのです。
支配=従属関係の何が問題かというと、協力してより高い価値を創るインセンティブがないということです。より高い価値ができたら、支配者側が全部利益を持っていってしまいますからね。被支配者は頑張った分だけ損なのだから、適当にやっておけばいいという意識になってしまう。だからこのシステムである限り、新しい価値の生産性は低いところに止まってしまうのです。
飯坂 旧日本人は閉鎖系であるということですね。外交性を持っていたとしても、それは仲間うちで飲みに行くとか、接待などで特定の人たちと付き合うということであって、仲間に対しては外向的ですが、外の世界に対しては背中を向けているということでしょう。
運営者 その通りです。そういうことは、本人たちが一番良く自覚していると思うんですよ。つまり他人と関係を結ぶ時に、「自分がつくろうとしてるのは支配従属関係なのか、それとも全く対等なパートナシップなのか」はわかっているでしょう。接待というのは何かというと、よく接待の時に「今日はする側だっけ、される側だっけ?」なんて確認してるじゃないですか。これはすなわち支配=従属関係の確認行為なんですよ。