「自由と個人」「思考の自由」を回復しよう
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 だけど山本七平はルネサンスに重きを置いているわけではありません。
『空気の研究』の前の方で触れていますが、そもそも西洋人は、物事を絶対視せず、相対的にとらえる認識機構を持っている。「"絶対"といえる対象は一神だけだから、他のすべては徹底的に相対化され、すべては、対立概念で把握されねば罪なのである」と書いています。
彼はその根拠を、矛盾対立した表現や事実の記述を含む聖書の二面性に置いています。彼は聖書研究の専門家ですから、これはある程度、説得力のあることです。
しかし、相対主義者が魔女狩りをやりますかね。それにギリシャ、ローマは多神教でしたが彼らは絶対主義者だったのかな?
この辺は私には疑問です。ルネサンスというのはギリシャ、ローマの再発見ですからね。ペトラルカはキリスト教信仰を持ちながら、古典の再発見に務めた、その過程でローマに関心を持ち、ローマを賛美します。ローマが古代ローマの首都であり、同時にキリスト教の御座所であるというのは非常に興味深いことです、が、それは置いておいて。
とにかく旧日本人がこのような意識構造を持っているのなら、彼らは内向し自己完結を求めるしかないわけで、山本七平が指摘しているようにそこから脱出するためには、"自由"と"個人""思考の自由"を回復するしかない。
すなわち「自立」することです。
そして自立した人間が社会をつくるため、個人個人の関係を自由に組み直して、次々と新しいパートナーシップをつくっていくためには、新日本人の意識構造を、自立を突破口として獲得する以外にはないと私は思うわけです。
山本七平は今から25年前に、旧日本人の陥りがちなワナから脱するための出口を見つけてはいたわけです。
しかしその後には、だれも続こうとははしなかった。なぜだか分かりませんが。
私は、現代の日本のビジネスマンの行動を帰納的に分析することで、その続きを完成させることができたと思います。
この旧日本人と新日本人の考え方の枠組みの間には、「質的な差違」があると言えると思います。この認識こそが、意味がある、新しいものだと私は考えています。
飯坂 でも、個人がみんな旧日本人から新日本人に変身すれば、日本の社会は新日本人の社会構造に変化できるというわけでもないですよね。逆に構成員が旧日本人ばかりだったとしても、新日本人的な組織形態にすれば、みんな新日本人に変わっていけるのではないでしょうか。