「忠孝一致」に注目せよ
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 それからこの旧日本型組織が機能するためにどうしても必要な大原則があります。それは「忠孝一致」というものです。
これも山本七平が、一行だけなんですけど『空気の研究』中で指摘していることです。それで調べてみました。
飯坂 ほう、「忠」と「孝」は一致しなければならないわけですか。
運営者 これは大変大切なポイントです。「孝」というのは親子の間に成立している感情なんです。民法上、扶養義務は解除できないわけです。
「身体髪膚、之を父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり」。これは孔子の『孝経』の頭の部分です。
飯坂 企業組織においては、忠実である必要はあるけれど、孝行する必要はないような気がしますが。
運営者 まったくその通りです。民法や商法には「忠実義務違反」というのはありますが、「孝行義務違反」というのはないですよね。
戦国時代の忠義というのは何を意味したかというと、これは契約関係だったわけです。主君に対して忠義を尽くさなければならないが、自分の生存が脅かされた場合は裏切ることが可であるということですね。
ところが「孝」には裏切りという概念はないわけです。
そこでこの忠と孝を一致させようという発想の大転換がなされたわけですよ。どの辺でなされたのかというのが問題ですね。
飯坂 どの辺ですかね。
運営者 諸説あると思うのですが、幕末の後期水戸学においては完成されていたんだと思うんです。会沢正志斎あたりかもしれませんね。吉田松陰は彼のところに行っているわけです。
前期水戸学では易姓革命を認めていたわけです。つまり主君がボンクラであって、みんなに迷惑をかけるのであれば、天は彼を見放すので殺してしまってもいいということです。「幕府がやばくなったら、ひっくり返してもいいぞ」という危険思想ですよね。そんなものは朱子学においては辞書にないわけです。
飯坂 朱子学自体が易姓革命に対するアンチテーゼですからね。
運営者 儒教やそこから出てきた朱子学というのは、「世の中は乱れているが家庭の中は平和である。であるならば、家庭の中の作法や流儀を世の中全体に広げていけば、世の中も平和になるだろう」というところからスタートしています。だから易姓革命なんてとんでもない訳ですね。そういう発想だから幕府にとっては大変ありがたい考え方だった。