明治維新で日本人の共同体依存は強化された
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 それで重要な点は、江戸時代の間は「幕府という絶対権力」を打ち立てて、そこにみんなが依存するという支配体制があったわけです。明治維新のときには、それを天皇に乗り替えただけなんですよ。つまり依存する対象を、ぼろぼろになった幕府から天皇に乗り換えただけだということです。
その背景として、「中央集権国家をつくらなければ外国船をうち払うことはできない」という意識があったわけです。外国船が来なければ、幕府の権威が揺らぐにはまだ時間がかかったわけですから。この2つを合体させれば尊皇攘夷思想というのができあがります。
飯坂 薩英戦争とか下関戦争をやってみて、「一藩の力だけでは列強に勝てない」という自覚ができたからこそ薩長同盟ができたわけですからね。
運営者 日本は開国はするんですけども、結局、「天皇中心に内側で固まっていくべきだ」というレールが敷かれていたのではないかと思うんです。
飯坂 他の世界からの侵略者が現れたから団結したというわけですね。
運営者 「外部から攻撃されたから一致団結しよう」というのは、ほんとはまずいと思うんですよね。本来は、他者に対して自分をオープンにし、交流する中で相手から学ぶという姿勢でなければならないと思うのですが。
日本人は明治維新の時にこのような形で、依存する対象を幕府から、あるいは三百諸侯から、天皇というより高い次元の存在に・・。
飯坂 乗り換えたということなんですね。
運営者 そこでわれわれが強く認識しておかなければならないのは、旧日本人は何かに依存して生きていくという意識構造をそこで変化させたわけではないということです。多少はましになったかもしれませんが、やっぱり日本人は自立していなかったわけです。
「共同体への依存性」という観点から行くと、ぜんぜん変わっていない、むしろ依存する対象がさらに大きくなって強化されている。陸続きの外国がなくなって、相対的な外部認識ができない環境ができあがってしまった。
そこには、旧々日本人から旧日本人に脱皮したというような、質的な差はないんです。あくまで平行移動だったんですよ。
司馬遼太郎は、この点においてまったくまちがっていると思います。「敢えてまちがいたい」気持ちは痛いほどわかりますが、でもやっぱり日本人は覚醒していなかった。