「我が国は一大家族国家である」
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 昭和12年には、文部省が「国体の本義」というかなり長い文章を出しています。
これは「これに基づいた教育を行うという指針」なのだと思いますが、そこで吉田松陰などの言葉を引きながら展開されているのはまさに、「忠孝一致」という考え方なんです。
我が国の孝は、人倫自然の関係を更に高めて、よく国体に合致するところに真の特色が存する。我が国は一大家族国家であつて、皇室は臣民の宗家にましまし、国家生活の中心であらせられる。臣民は祖先に対する敬慕の情を以て、宗家たる皇室を崇敬し奉り、天皇は臣民を赤子として愛しみ給ふのである。
(中略)
我等の祖先は歴代天皇の天業恢弘を翼賛し奉つたのであるから、我等が天皇に忠節の誠を致すことは、即ち祖先の遺風を顕すものであつて、これ、やがて父祖に孝なる所以である。我が国に於ては忠を離れて孝は存せず、孝は忠をその根本としてゐる。国体に基づく忠孝一本の道理がこゝに美しく輝いてゐる。
(中略)
まことに忠孝一本は、我が国体の精華であつて、国民道徳の要諦である。而して国体は独り道徳のみならず、広く政治・経済・産業等のあらゆる部門の根抵をなしてゐる。従つて忠孝一本の大道は、これらの国家生活・国民生活のあらゆる実際的方面に於て顕現しなければならぬ。我等国民はこの宏大にして無窮なる国体の体現のために、弥々忠に弥々孝に努め励まなければならぬ。
つまり日本国民は全員、天皇の赤子ですから、天皇のために死ぬのは当たり前と。この時点で天皇絶対制は完成された領域に達していたということでしょう。
それから、「国家は家そのものである」ということもまた滑稽なほど強調されています。これを国民の教育を司る行政機関が公に発表するというのはほとんどクレージーなことですよ。しかし当時は国民全員がこれを「当然のことであろう」と受け止めたというのは、今と較べればものすごい価値観の開きですよね。
飯坂 と言うことは、美濃部達吉は寝た子を起こしてしまったということですかね。
運営者 そうです。機関説までは全国の愛国団体はバラバラの主張でバラバラに活動していたんですから。それが「機関説撲滅」で一致団結した。
司法省の思想研究資料には、「合法無血のクーデターと評されている程、稀に見る成果を改め革新運動史上に於ける一時代を画したものであった」なんて書かれてますよ。