「個人主義と自由主義が誤謬錯覚の根源」2
運営者 その後は、大政翼賛体制で日本人全員が天皇を戴いた右翼になり、国家総動員、統制経済体制で、戦争に一直線です。
国家総動員態勢・産業統制体制で、議会も私企業も形骸化。 それで戦争に負けてしまったわけで、今となっては当たり前のような気がしますが、しかし「忠孝一致」という考え方は敗戦しても死なかったんですよ。
文部省が「国体の本義」を出したと言いましたよねぇ。つまり国民学校での教育を通して日本国民の心の中に根強く残ってたんです。ちょうどわれわれの親の世代ですよ。
「天皇=国家全体に対し、忠孝一致でなければならない」という発想は、敗戦時にほとんど壊滅しましたが、「生きていく上で忠孝を一致させる対象を見付けるのが自分のスタイルだ」と多くの人間がその時には思っていたし、その文化は脈々と「カイシャ天皇制」に受け継がれて現在もそう思っている人が少なくないということなんですよ。
それが旧日本の文化として今でも生き残っているわけです。
旧日本型組織の中には忠孝一致の精神が流れているんです。しかもそれはあまりにも自然で、空気のようなものなので、ほとんどの人は気がつかないでしょう。水の中を泳いでいる魚が水を意識しないのと同じぐらい、当たり前すぎてわからないんなんです。
これをちゃんと自覚することが重要だと僕は思います。大変なことですよ。もう21世紀なんですけど。
それで、さすがに21世紀ともなると、若者たちはもうこの呪縛からは逃れていると僕は思います。
飯坂 それはもうないでしょうね、ただあるとすると仲間に対する非常に小さな忠と孝というのはあるでしょうね。
運営者 偽りの優しさという形で生き残っているのかな。
われわれはそれに対する破壊は続けなければならないと思います。
繰り返しになりますが、「どうして旧日本型組織には、全員が逆らいがたい、ある空気が醸成されるのか」ということを整理しますと、270年間の徳川の暗黒時代があって、みんな幕府に依存していたわけですが、近代日本が幕藩体制を超克して統一を果たすために、依存の対象を天皇に変えたわけです。
飯坂 それはまさにブレイクスルーですが、天皇支配を「空気」として信じた人もその後には出てきたでしょうけれども、天皇という新しい道具を持ち出してきた革新者たちは、決して空気に影響されてやったわけではないと思うんですよね。それは彼らの知恵ですよ。
運営者 その可能性はあります。明治維新を起こした人たちのオリジナルのアイディアであったと。だけど、これはやっぱり「上からの革命」であった。上からの革命は、その精神を持っていた上澄みの人々、元勲という人たちですよね、彼らがいなくなった時点で雲散霧消してしまいました。革命は、少なくとも中間層まで精神の変革が進まないとホンモノではないということでしょう。下からの革命でなければ、後生に伝わらないんです。
それと革命を起こした人間は純粋であったかもしれません。しかし彼らは、「天皇を旗印にした後にいったい何が起こるのか、どういう世の中がやってくるのか」については、想像できなかったんでしょうね。
ましてそれが140年後の日本人をも呪い続けるとはね。