マスメディアの震災報道は、単なるカタルシスであってはならない。
震災から2年、在京の報道各社は被災地入りして活発に取材を行い、新たなメディアスクラムの様相を呈していますが、放射線による健康被害の怖れに真正面から向き合う報道はほとんど見受けません。
だいたいが「たいへんだったけど、ぼくたちがんばったよね。これからも絆を大切に団結ガンバロー。東北の食品を食べてね」という話。わたしはこういうのを「カタルシス報道」と呼んでます。「いちおう寒い時期に東北まで行って、震災について報道しましたよ」という、ただのアリバイです。
「被曝による大規模な被害が起きる可能性」という現実的な問題から目をそらしつつ、よくこんなお為ごかしができるなあと思います。それで本人たちはいい仕事をしたつもりになってるんですからまったくあきれますね。
逆に聞きたいですね。「放射能って、大丈夫なんですか? 福島第一原発周辺地域に子どもが住んでいて、将来問題にならないんですか?」
もし「ぜんぜんOK、ノープロブレム」と即答できないのであれば、少しでも疑義があるのであれば、いかに立証が困難であっても証拠の切れ端を探し出して提示し、世の人びとに注意喚起するのがジャーナリズムの仕事じゃないんでしょうかね?
世の中、現実が見える人の数は少ないです。だけど問題を猟犬のように鋭く嗅ぎつけて世の中にいち早く提示するのは、他の誰でもないメディアの仕事のはずです。
放射線による健康被害は晩発性です。そして疫学データも不十分です。だからリスクを回避するためには、極めて慎重に対処する必要があるはずです。
世の中、「知らなかった」ではすむこととすまないことがあります。
被災地住民の健康調査でも、今のところ「ほぼ全員基準値以下」「異常なし」とされており、それがそのまま報道されていますが、マスメディアの仕事はそれでは免罪にならないはずです。
放射性健康被害が出て来た日には、そんなジャーナリストやマスコミの言うことは、この先は信用できないということになってしまいます。メディアの信用が地に墜ちる日です。
もし健康被害が顕在化したら、その可能性を論ずることなく「食べて応援」を鼓吹していた昨日までと同じ論者がテレビや新聞に出ているのはおかしいという事態になるはずです。
放射性健康被害について黙っていたメディア人は全員筆を折るべきという日が来るかもしれません。
その時、「われわれ全員が悪かったと反省するべき。一億総ザンゲ」と言い出す奴もいるでしょうが、少なくともそれはメディア人には適用されない。知らなかったではすみませんね。
「社会の木鐸」はどこへ行ったんでしょうかね。