福島第一原発の事故処理(引き延ばし工作)は末期的状態を呈し、ついに経産大臣が現場視察して、「国費」追加投入を告知するところまで追い込まれました。「予備費」はあくまで税金です!
これに対して、8/27付の全新聞の社説は思考停止で沈黙しています。
東電は、経団連会長を輩出している企業です。日本の経済界を代表する企業が巨費を投じても毒性が極めて高い高濃度汚染水の海洋への流出を止められないということは、わが国には他に事故処理ができる主体はないということを示しています。
そしてこの時点で原発事故処理は失敗=日本には原発技術をコントロールできないという事実が確定したと認識すべきです。
地震国である日本では、今後の同じような原発事故発生は予見可能性の範囲内であり、事故が起きたときに放射能漏れをコントロールできないものを維持できないわけで、原発政策の根本的見直しが、あらゆる利害関係者(全人類)から要請される状況に陥っていると認識すべきでしょう。
終わったんですよ、日本の原発は!
ずるずると事故処理に税金を無際限に投入しつつ、片方で製造物責任を持てない原発を無責任にも推進するという恥知らずな状況には、ここで歯止めをかけるべきです。
現在、福島の避難者は15万人。放射線健康被害を恐れての2年半の過酷な避難です。通常は存在しない子どもの甲状腺がんが18人(+疑い例25人)と時間が経つにつれて急増傾向。事故から2年半経っても放射能は漏出し続け、環境を汚染し、放射能を含んだ食べ物が全国に流通、各産業に痛手を与えると共に人びとに不安を与え続けています。
この不安の元は、原発です! それ以外にはありません。
国民の不満は募っていて爆発寸前です。このままでは国はスケープゴートとして東電を潰さざるを得ないでしょう。しかし、東電は推進勢力の本丸ではない。国民には、そこを見抜く賢さが必要です。
福島第一原発敷地内は全体的に地盤沈下している中で、汚染水流出を食い止めようとして、水圧で地下貯水槽が40センチ持ち上がったりしています。土地が液状化して構造物が損壊して放射性物質が漏れたり、配管が破断して循環冷却ができなくなったり、汚染水が地上に出て来て作業員が近づけなくなったらアウトです。
4号機プールが倒壊すれば、北半球は壊滅します。これは現実的な危機です。
それを避けるためにはおそらく、遅かれ早かれ「すまんけど高濃度汚染水を太平洋に放出します宣言」をするしかないでしょう。
そして、もし、高濃度汚染水を海に流すとか、「国費を追加投入して汚染水処理をすべし」という議論になった時「果たしてこのまま原発推進でよいのか」についても議論の俎上に乗せるべきです。
「高濃度汚染水を海に流すよ~ん」と言って、そのままこの後もずるずる行くようなことは、決して許されるべきではないはずです。
だいたい、メルトスルーした原子炉に燃料なんか残ってないですよ。しかし東電の「建前」としては「メルトスルーしていないんだから、炉内にある燃料を冷やし続けなければならない」というおためごかしの理由で2年半も水を注入し続け、その結果できた汚染水タンク350機の水漏れですよ。
しかもその、だだ漏れ汚染水タンクを無際限に増設する処理費用は、そもそも国費の出資を仰いでいる東電の電気代に上乗せされていて、それがどんどん値上げされているというのもおかしい。役所が税金のむだ遣いを拡大してきたのと同じ、デタラメなどんぶり勘定方式です。
どこかで処理費用の支出に一線を引いて、「やっぱりわれわれには原発はムリでした」と白旗を上げさせないと、この原発キチガイどもはいつまでたっても止めないですよ。
こんな場当たり処理を続けている理由は、理屈も何もなく、「とにかく、なにが何でも原発を続ける」というモメンタムでしかありません。この国では、「原発推進」のためにすべてが犠牲になっています。福島の子どもの命も、人びとの生活も健康も。
「原発推進」はまさに現代のリヴァイアサンです。
しかし、「原発推進」という化け物に、カネを湯水のように使ったあらゆる宣伝や懐柔でいいように振り回されていて、わたしたちは本当に文明人と言えるのでしょうか?
日本人はそろそろ目を覚ますべきです。
彼らにNOを突きつけるチャンスを逃してはなりません。
また、国外からの非難を浴びて政府が態度を変えるというのも、日本にとっては大きな痛手です。国内から澎湃と湧き出た声で、政府の姿勢を転換するべきです。
わたしの物言いに一理あると賛同される方は、この認識を広げてください。
・国費追加投入
・高濃度汚染水の海への放出
の場合には、原発推進政策を根本的に見直すべき!
この認識がひろく広まれば、「いよいよ」のときマスコミも政府にNOを突きつけざるを得なくなります。それが政府の一番恐れていることのはずです。
われわれが文明人として踏みとどまれるかどうか、のちの世代に胸を張って、成してきた営為を語れるかどうか、われわれはまさに瀬戸際に立っていると思います。