フランスでのテロ
まあわたしも「言論の自由は民主主義の基礎だから絶対守り抜くべきだ」という主義なんですが、ヨーロッパにおいてはことは簡単じゃないんですよね。
塩野さんが言ってたけど、「何年たっても状況は変わってないじゃない!」ってことですよ。
古代ローマ時代から、地中海はアフリカからの海賊に悩まされていました。ポンペイウスが台頭したのは、海賊退治に大功を挙げたからですからね。「ベン・ハー」で描かれる海戦も、海賊相手でしょ。執政官が直々乗り出すほど、海賊退治が共和政ローマの大きなテーマだった。じゃないと、ベン・ハーのストーリーはあれほどおもしろくならないですよ。
でも、パックス・ロマーナの時代には海賊は目立たなくなります。連中にも仕事が回ったからでしょう。
西ローマ帝国が崩壊すると、アフリカ沿岸からの海賊がヨーロッパの地中海沿岸を荒らし回るようになります。
そして7世紀になるとイスラム教があっという間にアフリカ沿岸まで広がるのですが、海賊はこの宗教をバックボーンにすることによってさらに凶暴化します。「イスラムの家」を広げるということで、略奪誘拐やり放題。海賊収益の5分の1を領主(アミール)に納めるということで、海賊行為はイスラム国家に公認されてしまいました。
名目上はビザンチン帝国が治安を守らないといけないんだけど没落した帝国にとてもそんな力はなく、ジハードでスペインは半分イスラムになっちゃうし、シチリアも占領されたし、イスラム勢力はローマにまで迫ります(必死で防戦してローマは守りますが)。
その後イタリアでは海洋都市国家が台頭して、イスラム海賊の頭を押さえますが、今度はトルコがやってきて海賊の後押しをすると同時に、陸からもヨーロッパに迫ります。トルコはウィーンまでやってきますからね。
そこまでで押し戻して、19世紀には反対にヨーロッパがトルコやアラブに攻めていく時代になるのですが、帝国主義の時代が終わると旧植民地からムスリムが住民として大量に流れ込んできて社会問題になっている。フランスはアルジェリアやチュニジアから、ドイツはトルコから、イタリアはリビアから、イギリスにもいますからねえ・・・
そうすると、2000年経っても状況はちっとも変わっていなくて、むしろイスラム教という理念が導入されたことで問題は複雑化し、解決はよりいっそうむつかしくなっているということですよ。
イスラム原理主義者が増える方向に行けば、不安定さは増すでしょう。寛容なイスラム教徒が増えれば状況は安定するでしょう。
「言論の自由」というわれわれにとっての価値は、本質的にはこの対立状況をどうこうするファクターではないのかもしれません。
ヴェネチア共和国は、アドリア海沿岸の海賊対策として、その辺にヴェネチアの中継基地になる港を作って、航海に必要な物資をそこで調達することで、海賊を雇用しその地域にカネを落として、海賊を消滅させてしまいました。
もっと前のイスラム以前の時代には、海賊にカネを渡すことで都市の襲撃を免れていたのが実際です。
原理主義者相手には、主義主張に囚われない現実的解決を考えたほうが早いのかもしれないなと思わずにはいられません。