■8月31日ひとこと 今年の夏は人生最悪の夏だったなあ・・・
■8月30日ひとこと だれかシャンパングラスを割らないですむ方法を知ってたら、教えてくれないかな・・・
■8月28日ひとこと 新聞・出版は終わった 意外とまだみんな認識がなくて不思議なのですが、出版や新聞って、もう完全に終わった産業なんですよ。
いま、中堅企業経営者の間には、「社長の本を2000万円で出しませんか。御社の信用になるし、リクルーティングの時にも本を出している社長の会社というイメージができますよ」という怪しげな誘いが出回っています。大手出版社でもやっていて、つまらない本を量産してみんなの足を書店から遠ざけています。ほとんど自殺行為ですが、そうやって日銭を稼がないとやっていけない自転車操業状態です。
時代はネットへ。某化粧品会社は、各雑誌広告担当に「ネットなどと組んだ広告の提案じゃないと今後は雑誌に広告を出さない」とファクシミリで一方的に通告したそうです。つまり雑誌だけでは純広告を取れない時代になってしまったということです。
新聞ももう、まともな広告が集められなくなって、通販広告や健康食品広告が、紙面のかなり手前まで攻めてきています。
要は、印刷媒体の持っている価値が20年前と比べると大幅に下落してしまったということです。
わたしも出版界に入った人間ですから、残念なことだとは思います。開成学園の理事長の加藤丈夫さんが『「漫画少年」物語』という本を書いています。加藤さんのお父さんは「少年倶楽部」の名編集長だった人で、当時は雪国の駅に貨車で「少年倶楽部」の束が届けられると、子どもが遠くからわざわざ受け取りに来ていて、家に帰って1ページずつ楽しみに繰りながら読んでいたと書かれています。わたしの子ども時代も雑誌にそういうあこがれがありました。しかし、それはもうない。つまり、媒体の価値は遙かに下落してしまったということです。
さて読み手としては、こうした状況下では、まともでバイアスのかかっていない情報を効率的に手にするためには、さらにメディアリテラシーを磨かないと、とんでもない誘導に引っかかってしまう可能性が日々高くなっていると言えるでしょう。
■8月23日ひとこと 朝鮮併合百年。シンガポールで日本の軍人が、イギリスの将校に日本が朝鮮でやっていることを話したら、イギリス将校にバカにされて、「牛や馬に文字を無理に教えたら、怨まれて当然だ」と言われたという話を読んだことがあります。イギリス人が正しかったのでは?
■8月22日ひとこと どうもよく伝わってこないのですが、鳩山は菅が自分の路線を踏襲していないことに不満があるようですね。 マル激トーク・オン・ディマンド 第488回(2010年08月21日)
■8月16日ひとこと 現閣僚はひとりも靖国神社に参拝しなかったようですが、「戦犯」も含めて、自分たちの先祖の行いに誇りが持てないというのは、どうなんですかねえ。ちゃんと歴史を勉強して「過去の日本人の行いをおわびする」と言うのなら、「自分たちは過去の日本人よりも立派で正しいことをしていると言える」と言うことですか? はあ、そんな立派なみなさんには到底見えませんがねえ。
■8月11日ひとこと 江戸時代の商人の処世術とされる「江戸しぐさ」に「うかつあやまり」というのがあります。たとえば相手に自分の足が踏まれたときに、自分は全然悪くないのに「すみません、こちらがうかつでした」と自分が謝ることで、その場の雰囲気をよく保つこと・・・なんだそうですけど、日本って外交でもずっとこれやって来たんですよね。でもこんなこと、外国には通用しないわけで。しかも韓国や中国は、何となく外見が日本人に近いように見えるから、うかつあやまりが通じそうに見えるから、なおさら始末が悪いわけで・・・ なんでこんなこども外交をやってんでしょうかね?
■8月10日ひとこと なんなんですかねえねこの意味のない土下座は。まったく理解できないのですが。逆でしょう、日本が韓国に謝罪と戦時賠償を要求するのが筋なんじゃないの? 「日本が半島に迷惑をかけた」という迷妄は、どこから発生したものなんでしようか? 朝鮮がもうちょっとしっかりしてくれていたら、朝鮮なんか併合せずにすんだんですよ。はっきり言って迷惑以外のなんでもない。
日本は半島を、北海道とまったく同じように開拓しようと莫大な投資をし、近代化を進めたんだと思いますがね。朝鮮人の身分は終戦直前まで兵役に取られなかったんだから、内地の人間より優遇されていた。それでも志願して日本軍に入った朝鮮人もたくさんいて、中将まで昇進した人もいたはずですが。 欧米には、こんな植民地統治をした国はなかった。半島なんか、植民地ですらなかった。にもかかわらず、台湾の経営はすぐに大黒字になったが、半島は終戦まで莫大な赤字を出したお荷物でしかなかった。こんなに手厚い保護を受けていて、なんの文句があるのかまったくわかりませんな。 ところが日本が戦争に負けた瞬間に、「朝鮮は日本と闘った戦勝国」なんだそうですよ。恥ずかしい裏切り者としか思えません。フランスが戦勝国というのはわかるが、朝鮮はどこで日本軍と戦っていたのか?
戦ってませんよ、日本の一部だったんだから。
でもって、日韓基本条約で理不尽にたかられた上で、「最終的に、完全に解決された」とされる戦時賠償の問題を、戦後60年、国交回復から45年経っても、まだ要求している。こんな後ろ向きは連中も珍しいが、まあ国民全員が病気なのだろうから仕方がないでしょう。
問題は、そうしたたわ言に耳を貸す阿呆が政柄を執っているということです。国益に反することをして、何が政治家なんでしょうか。恥を知れ!
あと、実に不思議なんですけど、台湾には「おわび」しなくていいの? それはなぜ?
■8月7日ひとこと 学生時代のわたしは貧乏だったんで、基本的に夜行バスで長距離移動していたものでした。
でも「一度はジャンボジェット機に乗ってみたいものだ。映画でしか見たことないのは情けない」と思って、大学3年の夏、サークルの合宿からの帰りに、「羽田から大坂まで乗ってみよう」と羽田に行ったのでした。
と言っても正規料金で乗るつもりなどなく、学生用の空席利用の「スカイメイト」で安く乗ろうとしていたのですが、「夕方の便で混んでいて、乗れそうにないな。これは下宿に帰ろうかな」と考えながら待っていました。最後の最後に自分の番号が呼ばれて、わたしははじめてジャンボ機に乗りました。
「さすがに大きいなあ」と思う気持ちが半分と、「えらいボロいなあ」という感想が半々でした。
離陸すると後者の思いはますます強くなりました。最後の座席なので、わたしの席は機体の最後尾だったのですが、天井を見ても、床の絨毯を見ても、明らかにわかるくらい左右にずれて動いてるんです。「これは空中分解するんじゃないのか」と内心焦っていたのですが、スッチャデスさんたちは何事もないかのように笑顔でサービスしているので、「おかしいなあ」と思いつつも、「こんなもんなのかなあ」と自分を納得させて座席に縛り付けられていました。
そんなわけで、わたしのジャンボ機初体験は期待はずれだったのですが、その晩と翌日は兵庫の知人宅に泊まり、広島経由で松山に渡る瀬戸内海航路のフェリーが松山に近づく頃、海上は電波が入らないので砂の嵐になっていたテレビがだんだん四国のNHKの電波を受信できるようになってきた8月12日の午後8時頃、わたしは自分が2日前に乗ったJAL123便が羽田を発った後、行方不明になっていることを知ったのでした。
あれから25年か・・・
■8月3日ひとこと わたしはまたまた心の中で密かに頼みにしていた先輩を失いましたよ。なんかもう、殺伐としすぎてまして、泣きたいくらいですが・・・捨てる神あれば拾う神ありで、世の中なんとかなるものでしょうか・・・
■8月2日ひとこと 赤坂俊哉氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
彼はとても成功した弁護士でした。強い芯と責任感があって、頼りがいのある先輩でした。大きな仕事をした人でした。
ご家族にもお悔やみ申し上げます。6月に食事したのが最後でした。心が痛みます。