メンタリティー■
■集団依存 / 自立・自制・自然
若造 本心をぶちまけさせてもらうとね、もう本当に理解できないんだよ、自分の上司のことが。
「どうしてこういう考え方ができるのか、この人の頭の中身は一体どうなっているのかな」と。旧日本人というのは、ぼくたちとはまったく違う生き物ではないのかと思えてならないね。
おやじ 言わせてもらうが、こちらこそ最近の若いやつは、まったく何を考えているのかわからんよ。自己中心的で組織に対する忠誠心がないし、義理人情をわきまえていないから信用がおけない。ものを任せられない。そのうえ忍耐力がない、変に他人にばかり優しくて、自分のケツも拭けないくせに地球環境を気にしたり。つき合いが悪くて、話も全然通じないし。
一言で言うと、「使えない」としか言いようがないな。話を聞いてると、あまりにジコチューで腹が立ってくるよ。これはひどいね。こういう若い奴が世の中の仕組みをちゃんと理解して、使える社員になるまで一体何年かかるのかと思うと、暗澹たる気持ちになるな。
若造 どうせ何を言ってもムダだとは思うけど、われわれの方が分析能力を持っているから、旧日本人の意識の特徴について、整理してみたいと思うけどね。
まず、見ていて我慢ならないのが、会社に平然とぶら下がっている姿勢だよね。見てると、ナマケモノを連想しちゃうよ。会社とべったり、上司とべったり、仲間とべったり、でもなにも価値を産み出していない。それじゃ意味ないじゃない。
おやじ 嫌なら会社を辞めればいいんだよ。誰も居てくれと頼んでいるわけでなし。会社に居る以上は、命令には従うし、会社に忠誠心を持つのは当然じゃないか。
若造 旧日本人が持っているのは、依存心の裏返しとしての忠誠心だよね。自分の拠り所であるがゆえに無条件に会社を信頼している。ほとんど絶対視している。自分の主体性がまったくなくなって、会社と一体化してしまっている。
だから、会社が大きければ大きいほどいいという、数の力に対する信仰が出てくるんだろうね。なるべく偏差値の高い学校を卒業して、なるべく大きな組織に潜り込み、そこにぬくぬくと安住しようという人たちは、例外なく自分の個性や、何か大切なものを会社に譲り渡してしまっているように思うよ。そこに気がつかなきゃ。
おやじ 大きいことはいいことじゃないか。組織が大きいからこそ、総合力が出てくるんだ。人間ひとりじゃなにもできないんだから、みんなで力を合わせるのは当たり前じゃないか。
若造 それが律令制度以来の中央集権的な考え方だよね。昔は土地だって公有制だったんだから。とにかく会社を大きくして情報もお金も本社である東京に全部集める。国全体としても、税金や貯金を地方からすべて東京に集める仕組みになっている。だけどそれが果たしてシステムとしてうまく行ってるだろうか。