集団依存 / 自立・自制・自然
若造 郵便貯金の預金高は240兆円、世界最大の金融機関になっている。だけど、自前では貸し出しをしないという非常に不思議な金融機関だよね。銀行ではない。だけど本来はまともな金融機関は、自分で貸し出しをして利ザヤを稼ぐはずじゃないだろうか。ここには世界最大のリスクがあるということんじゃないのかな。もし郵便貯金がなかったら、ここまで国債の発行高が多くならなかったかも知れないよ。民営化は当たり前だよね。むしろ、遅きに失したよ。
中央集権というのは、大きな資本を集めることができるから、うまく計画的に配分できれば素晴らしい効果があると思うけど、成熟経済に入った日本では、もっと、個人個人の能力と資本をうまく結びつける工夫をするべきじゃないのだろうか?
おやじ 違うんだよわかってないな。日本のすごいところは、国がやることには基本的にまちがいがないということ。そして会社が言うことも、今までほとんどまちがってこなかったということなんだ。だから面倒なことは、お上や会社に任せておけばいいんだよ。
若造 それがまさに、集団依存的な意識そのものなんですけど・・・。
おやじ お前たちはそうではないというのか。「お上を信じない」と言い切れるのか。それじゃまるで、日本人じゃないみたいだな。
若造 旧日本人から見れば、われわれは宇宙人に見えるかもしれないね。
だけどぼくらは、「自分自身の足で立ちたい」と思ってるんだ、誰にも頼らず、もたれかからず。心の中に強く持っている信念にのみ寄りかかって。
人をねたまず、変に背伸びをせず、自分の気持ちをきちんとコントロールしながら、静かな気持ちで歩いて行きたい。そう考えると、会社とは対等なパートナーとしてつきあっていければいいと思うんだけれど。
どうしてお上を恐れたり、自分の属している集団の価値観やルールにとらわれて、自分を殺して小さくなって生きていかなければならないわけ? 頭の中にいるお上の意向を恐れて自分で自分に枷をはめていることに気がつかないと。
会社自体が仕事をするんじゃない。どんなアイデアも個人の頭の中から湧いてきて、それを「やろう」と思った人が大きくしていくんじゃないか。
ぼくらにはタブーはないんだから、やっちゃいけないことなんか何ひとつないんだから。「自分は何でも思ったことができる」と信じていなければ、これまでは機能していたけど、意味を失ってしまった古くさいものを否定できないし、今までまったく考えられなかったもの同士を組み合わせて新しい価値をつくる発想もできないと思うよ。
「会社大事」では、自分持つ可能性の中から新しい価値を産み出すことはできないんだよ。