■論理性欠如 / 論理的行動
おやじ しかしよくもまあ、そこまでゴタゴタ言えるもんだな。お前は理屈を言い過ぎる。男は理屈を言わないものだとオレは親父に教わったもんだが、お前には教えなかったっけ?
若造 ぼくの父親は残業ばかりで家に帰って来なかったもんでね。
その「理屈を言うな」というのは、旧日本人が形勢悪しと思った時の切り札のセリフで、ぼくの上司もよく言うけれど、それって「仕事の上で、自分はギリギリまで論理や合理性に従って考えた判断をしていない」と白状しているようなもんじゃない? どちらかというと何となく直感的に物事を判断してるんだろうけれど、それで果たしてビジネスに勝てるのかな。
おやじ 今までそれで大丈夫だったんだから、いいんじゃないのか?
若造 これまでは、パイ(市場)がどんどん拡大していたからね。だから何も考えずに、がむしゃらに市場を取りに行くのが正解だったのかもしれないけど、これからは縮小していく市場の奪い合いなんだから、考えずに突っ込んでいたら負けると思うよ。
おやじ そんなもんかな。だけどな、理屈ばかりで会社の中が通ると思ったら大まちがいだぞ。管理職の中には、理屈なんか通らない人間がいっぱいいるんだから。そこをくぐり抜けていく知恵がなければサラリーマンは生き残れないんだ。
若造 おかしいよね、筋の通った理屈を主張できないこと自体が。まったく筋の通らないわがままを言い張っている目上の者を怒らせないために、理屈を言ってはならないのかな?
おやじ コツがあるんだよ。角が立っているものは、なんでも丸めておけばうまく通せるんだ。そこを正面突破しようとするのは、若いうちには考えがちなことだが、消してうまくいくもんじゃない。
物事というのは、力のある者が納得しなければ変えられるものじゃないんだ。そういう組織力学をきちんと学ばないと、まだまだ偉そうなことは言えないぞ。
若造 それは「なあなあ」と言われる他人との関係のつくり方のことだと思うけど、なんでも丸めて、差違をなくしてしまい、「お互い仲間なんだから」ということで決着をつける魔法の大風呂敷だよね。仲良くなりさえすれば、お互いが譲歩して、話がまとまるという感じかな。
しかしね、そこに絡め取られてしまったら、同類相哀れむになっちゃうんだよ。論理的な考え方の基礎というのは、いろいろなものごとを特徴によって区別して、各々の要素の間の違いは何なのかをハッキリと認識することがスタート地点なんだ。その一番最初のところを丸めてしまったら、現状の認識すらできない。だから旧日本人には、「問題をどのように解決したいのか」をさっぱり考えることができなくなっちゃうんだよ。
日本では、最高裁判所の判断で「一票の格差は1対3以内であれば合憲だ」ということになっている。だけど、それは票の下の平等と言えるんだろうか。ぼくにはあまりにもいい加減な丸め方だと思えてならないんだけど。
問題の認識自体を、現状に引きずられるかたちで拒否してるよね。
おやじ 論理を通そうと、話を丸めようと、どちらにしても状況は改善されないんだから、だったらわざわざ角を立てて、和を乱す必要はないんだよ。