■「知」に対する無感覚 / 「知」を追求
おやじ 小賢しいと思ったら、肝心なところが抜けてるんだな。
どうせビジネススクールに行って勉強して帰ってきても、また同じ仕事をやるだけじゃないか。2年間、いい夢を見るだけだよ。中にはその間におかしくなってしまって、会社を辞めて外資系企業に行く不届き者もいるが、結局すぐにお払い箱になって長続きはしないものさ。
人間堅実に考えれば、会社にいるのが一番だということにお前たちはなかなか気がつかないな。変に知恵をつけても意味はないぞ。
若造 自分でものを考えようとしない人に、「知」がいかに大切であるかということはわからないよね。そういう人は、洞察力や判断力を磨く訓練もできない。
だけど、そんなことで本当にこれからの時代のビジネスに勝てるんだろうか。もし「勝ちたい」と思うんだったら、向上心を持って、自分が知らないこと、役に立ちそうなことを勉強したいと思うのは普通だと思うけど。
おやじ 会社の中に居れば、会社で必要のないことを勉強する必要はないんだよ。
若造 旧日本人は、ものを考える必要がない仕組みを会社の中につくってきちゃったんだね。
「稟議」の制度があれば、根回しのうまい人の口車に乗ってさえいれば責任は問われないわけだし。部下も目上の人の決定や周りの人に判断に従っていれば仕事の結果の是非を問われることはなかった。大きな失敗をしたとしても、そのダメージをみんなが平等にこうむるかたちにして、だれからも文句が出ないよううやむやにしてしまうわけだから。
だからどんなに有益な情報でも、自分が理解できないものを苦心して頭の中に取り入れる努力なんかする必要がなかったわけだ。
むしろ新しい知識の輸入は、価値観の変化をもたらすから、既得権を持っている組織の上の人にとっては迷惑なものだったんだろうね。しかしそれで新しい知式を否定するというのは、北朝鮮のように鎖国的な国や、非民主的政権の国が、インターネットに脅威を感じているのと同じような感じだな。