■批判精神の欠如・内向性 / 客観的批判精神2
若造 「動かす」と言うより、「支える」んだよ。だけどもし世の中がまっとうな道を進んでないのなら、「動かす」ことも必要になるよね。今はその時だよ。
おやじ バカバカしい。世の中というのは、個人がどうこう言ったからといって動くものではない。そんなことしなくても、放っておけば自浄作用が働いて、自然になんとかなるんだよ。ジタバタする必要はないんだ。
若造 それは「ぶら下がり主義」の典型的な発想だよ。ぶら下がっているものが変化しちゃうと困るから、依存しているシステムを固定したがるんだな。
そういう人にとっては、ジャーナリズムというのは必要がないものだよね。メディア・リテラシーがないよなぁ。
自分の上司や、仲間、部下も含めた組織にいる人間たちについては、一切批判をしちゃあいけないと思っているでしょう?
おやじ その通り! それこそが、麗しい日本の美風というものだ。お前たちは破壊衝動を制御できない若造だからそういう考え方をするんだろう。与えられたおもちゃは壊してみないと気がすまないガキから、一歩も進歩してないんじゃないのか。
だいたい、自分が属している組織に対して誇りが持てないというのはどういうことだ。そんなことで本当に仕事ができるのか? 輝く伝統のある会社の旗の下で力を合わせるつもりがない人間に、実力が発揮できるとは思えないな。人間的な成長も期待できない。
若造 会社に誇りを持つというのは、「権威主義」以外の何でもないじゃない。
「お得意先は、うちの看板や暖簾を信用しているんだ」と勝手に思い込んでるんだよね。顧客は「暖簾の重み」やら「輝く伝統」なんて全然気にしていない。今や顧客が気にしているのは、良い商品かそうでないかだけだよ。
「創業○○年の輝く伝統」なんかじゃなくって、自分がやった仕事に誇りを持つべきなんじゃないの? いくら会社に誇りを持ったとしても、「俺様はこの会社にいるから人様よりも偉いのだ」という自己目的化したプライドしか持てないよね。それがまさに旧日本人が持っている、ゆがんだプライドだよ。
だけどぼくらは会社より、自分の仕事に誇りを持ちたいと思ってる。だから「この仕事で、お客さんは本当に満足しているだろうか」「自分はちゃんと世の中に良い価値を提供してるだろうか」というふうに外側に向いて物事を考えるね。自分の仕事の受け手であるお客さんに提供する価値に対して誇りを持つべきだよ。
それと、旧日本人は不祥事が起こったら、隠蔽を心がけるけど、隠すよりもまず外部にオープンにして、再発防止の姿勢を明らかにするべきだよ。