■批判精神の欠如・内向性 / 客観的批判精神3
おやじ 不祥事は、決してあってはならないことであって、外部に知られる前にもみ消してしまい、あくまで自社の体面を保つことが、ブランド価値を保つことに一番つながるから、なんだかんだ言ってもほんとのところは正しいんじゃないのか? 「外部にオープンに」なんてのはあくまで建前であってだな。
要するに、自分の仲間の恥は、我が身の恥と思わなければならない。
若造 どうして、身内をかばうのかな?
それがさっきの「上司や会社の悪口を社外では言わない」ことにつながると思うんだけど、旧日本人は身内の不正にはものすごく鈍感だよね。
身内=会社は決して自分を裏切らず守ってくれると信じている。だから、自分と世界を共有している仲間については、もし彼が失敗をしたとしてもかばおうとするし、反社会的なことをしていてもそれを問題視しようとは思わない。旧日本型組織には下手をすると、そうやって仲間をかばうことによって、自分もそうした不正の中にどっぷりつかってしまうという構造がある。
「仲間を裏切るくらいなら、嘘ついた方がいい」と信じているから、とことん批判精神がない。そして常に組織の内側を向いて行動している。だから「何かまずいことが起こったら、それがたとえ消費者(=顧客)に不利益をもたらすことであっても、内部でもみ消し、会社の外に出すべきではない」と考えている。組織の外と内側を厳しく区別して、外部に対してはなるべく会社の情報を漏らさないようにしている。「沈黙は金」という風潮がある。
そして最初からオープンにしていれば大きくならなかったような話でも、ばれた時に隠し通そうとしてさらに嘘を重ね、ますます問題をこじらせてしまう。果たしてこれは、正しい態度なんだろうか?
おやじ バレたら大変な損害を受けることになっちゃうんだぞ。下手をしたら雪印食品みたいにつぶれてしまうんだから。組織を守れなければ、何の意味もないじゃないか。だからどうしても、情報を隠すのが正しいんだよ。
目上の者のやることを無条件で認め、会社の身内のやることは批判せず、何か思うところがあっても口をつぐんで生きていくのが世渡り上手というものだ。
若造 防衛庁が、情報公開法に基づいて情報公開を請求した人たちのリストをつくってその人たちのバックグラウンドまで調査し、それをLANに載せて庁内で共有してたのなんか典型的だよね。
防衛庁の敵は外国じゃなくて日本国民だったのか。
おやじ 当たり前だろう。「今さら外国は攻めてこない」と、有事立法に反対する人たちも言ってるじゃないか。
若造 しかも、自民党の国防族議員も防衛次官も、「マスコミに漏れたことが問題だ」と平気で発言しているし、犯人探しまでやったらしいじゃないか。染みついた隠蔽体質。これじゃ、なんのために情報公開法をつくったんだかわからないよ。
おやじ そういう法律はそもそも必要ないんだよ。他人がやっていることに口出しをするなんて、やっちゃいけないことなんだ。放っておけば、八方うまく納まるんだから。
若造 それは本当に組織を守ることにはつながらないよね。被害を限定しようと思うのなら、最初から包み隠さず真実を会社の内外に発信する必要がある。顧客を守れなくて、会社が守れるはずがないんだから。そうじゃなければ、社外の人たちの信頼を得ることはできないじゃないかな。そこが、身内主義に固まっている旧日本人にはどうしても理解できないところなんだよ。
おそらく旧日本人は、自分自身の存在を、組織自体と一体化しているんじゃないかと思うんだ。だから組織について文句を言うことは、自分を傷つけることになるんだろう。そして同じ組織に属している仲間がやった不正は、自分がやったも同じだと受け取ってしまうんだろうね。つまり批判をすることは自分の存在を否定することになってしまうんだ。