■中庸・無為無策を尊ぶ / 強い自我(克己心=向上心+信念+規律)
おやじ そうは言ってもだな、相手を徹底的にやっつけると怨念が発生するから、ほどほどにとどめておいた方がいいんだよ。人間、中庸が肝心で、ある程度までで満足しなければならないんだ。
それに、「本質、本質」と言うが、ものごとの根っこのところには手をつけてはならないものなんだ。そこに触れると、全体がひっくり返る大元というのがあるんだから。そういうものに対する恐れを忘れてはならないなぁ。そこを知らないがゆえの勇気は、蛮勇でしかないんだぞ。
だから過激なことは避けるに越したことはないんだ。誰かが「これは過激だ」と評価したものは、絶対にやらないほうがいいとオレは思うね。
若造 そうそう、「改革案を出せ」と言われるから、根本的な改革を提案すると、ほとんどの旧日本人社員が「これは過激だ」「時期尚早だ」と反対して、数の力で葬り去ろうとするね。
組織の長の権限を縮小したり人員を減らすような下からの提案は受け入れられないし、前任者の怠慢が明らかになるようなことは認められないし、人のメンツをつぶしたと捉えられるような処遇の変化があってはならない、つまるところ「幹部の地位を脅かしてはいけない」というのでは改革らしいことは何もできないということだよ。だって、そいつらがまともにやっていなかったから会社が傾いているわけで、彼らがやってきたこれまでの仕事を正面から否定できなければ、もはやわれわれは、変わらないと生き残れないところまで追い詰められてるんだから。旧日本人用語で言うと、「総括」せよということだよ。
それをやらないのなら「初めから改革なんかあきらめろっ!」と言いたい。
本質的な部分に手をつけないのなら、表面をおざなりになでる程度の改善しかできないわけであって、それはビジネスプラン全体の組み替えが必要な現状では、ほとんど無意味な気休めとしか言いようがないね。
おやじ しかし、みんながついてくることができない改革をやっても仕方がないだろう。改革することによって全員の「志気」が落ちるのであれば、やってはならないに決まっている。
若造 そもそも赤字なのに、その状態の社員の士気を維持しても意味がないじゃない? 「われわれは志気云々を主張できる状況にはない」と自覚しなきゃ。
儲けが出てないのに従業員の士気だけが高くても無意味だ。それじゃ、結局「われわれは仕事をしている振りをしているだけだ」と白状してるようなもんだよ。
おやじ そう言われると言い返すのはむつかしいが、もし本当に会社をよくしたいのなら、お前たちは「中庸」というものを知る必要があるんじゃないのか。
若造 中庸を尊ぶというのは、「私は思考を停止しています」という告白だとぼくは思うな。思考を停止し、価値を追求しない旧日本人社員が発言権を持ち続ける旧日本型組織では、自前の改革はほぼ不可能だよ。
必要なのは外圧だね。だからぼくたちは絶望しているんだ!